楊逸『時が滲む朝』書評

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中国の農村で暮らす梁浩遠と謝志強。二人は地元の高校で優秀な成績を収め、切磋琢磨して日夜勉強に励み、大学入試共通試験(「高考」)を経て地方大学にそろって入学を果たす。浩遠の父は北京大学の学生だったのだが、1957 年に反右派闘争で大学卒業前に農村に下放され、今や農村でひっそりと生活している。
浩遠と志強は愛する国の将来のために一生懸命勉強しようという大志を抱いて大学生活を送り、大学で知り合った友人と文学サークルを興す。時は 1989 年、北京で民主化を求める学生運動が活発化していることを聞き知った彼らは、自分たちも後に続けと集会を開き、政治談議やデモ行進に打ち興じる。しかし学生運動は膠着化し、そんななか浩遠と志強は、たまたま居酒屋で同席した人と政治思想をめぐって暴力を伴う喧嘩を引き起こしてしまったがために三か月拘置所にとどめおかれ、大学を退学させられる。
その間に運動の中心人物であった学生の行方不明や教師の海外亡命などがあり、当局の強硬な姿勢によって学生運動の芽はつみとられてしまった。北京の民主化運動も徹底的に取り締まられ挫折した(天安門事件)。1990 年代。浩遠は日本人と結婚し日本で生活している。中国の民主化を求める「民主同志会」に所属し未来の中国政治のために活動を行うが、活動の参加者は次第に減っていき、同志たちもビザや仕事の
話ばかりで浩遠は孤独になってゆく。浩遠にも子供ができ、いつまでも夢を見て抽象的な政治談議にうつつを抜かしている場合ではなくなる。それが現実の生活なのだ。時は 21 世紀を迎えようとしている。
香港返還や北京五輪招致運動など、中国も新しい歴史を刻もうとしている。愛する母国は急速な経済発展をむかえ、浩遠はかつて夢見た自由で民主的な国家の理想像を胸に抱きながら、新たな生活に向けて一歩を踏み出してゆく。
楊逸『時が滲む朝』は、おおよそこのような話だ。民主化運動の挫折から北京五輪招致運動にまでいたる中国現代史の中を生きた二人の若者の生を描いた本作は 2008 年に第 139 回芥川賞受賞作となった。当時楊逸は中国籍で(後に日本国籍を取得)、日本語を母語としない作家による芥川賞受賞は史上初のことであった(後に李琴峰がこれに続き 2 人目の日本語非母語話者による芥川賞受賞者になる)。
この作品の魅力は何といっても、政治の動向に左右される「ふつう」の人間を主人公とし、彼らが激動の歴史の中で経験したことを平明に描ききってることにあろう。二人の若者は学生運動に参加したが、運動の中心人物でもなく、当時大量にいた未来を夢見て運動に参加した学生のうちの二人にすぎなかったし、ましてや作品の舞台も天安門事件のあった北京ではなく、何の変哲もない架空の一地方都市である。人々は政治よりも、結局のところ家族や仕事など、自分たちの生活のことで多くの苦悩を味わい、いつのまにかかつての熱狂は過去のものとなり、どこにでもいるふつうの人物、ふつうの家族の一員としての生を営んでゆく。若者の夢の挫折や、のしかかる現実の重みがひしひしと感じられる。
さて上述のとおり楊逸は中国出身の作家だが、現在は日本国籍を取得し日本で活動している。日本語を母語としない作家による芥川賞受賞は彼女が史上初であったが、いまでは国籍・出自にとらわれず多言語空間で活躍する作家の存在は当たり前のようになってきた。ナボコフやクンデラ、(アゴタ・)クリストフ、高行健のような政治的理由(亡命)ではなく、多和田葉子(日本→ドイツ)やグカ・ハン(韓国→フランス)のように、自発的に自らの出身地・言語を離れて、自ら選び取った新たな言語で執筆する作家はもはや珍しくない。日本で活躍する/していた中華圏出身の作家には楊逸の他に陳舜臣(『青玉獅子香炉』で第 60 回直木賞受賞』)、東山彰良(『流』で第 153 回直木賞受賞)、温又柔(『真ん中の子どもたち』『魯肉飯のさえずり』)、李琴峰(『彼岸花が咲く島』で第 165 回芥川賞受賞)などがおり、いまや「越境」する作家なくしては文学も成り立たない。グローバルな時代において、今後ますます多くの越境的な作家が誕生し、文学の世界に新たな命を吹き込んでくれることを期待したい。

東山彰良『流』
楊逸『時が滲む朝』
温又柔『魯肉飯のさえずり』
李琴峰『彼岸花が咲く島』
takaharunonaka