魯迅と東北大学

歴史と場所を知る

魯迅(1881~1936)は、中国の人なら誰もが知る中国の文学者・思想家で、近代中国の思想界に大きな影響を与えた人物です。日本人でも一度は聞いたことがある名前でしょう。その魯迅は若いころ日本の仙台に留学していました(弟の文学者・周作人も日本に留学していました)。青年時代の魯迅は医学生として、1904年秋から1906年春まで仙台医学専門学校(当時、現在の東北大学医学部)に留学して医学を学んでいたのです。魯迅が学んでいた教室は今でも「魯迅の階段教室」として残されており、1998年には江沢民国家主席もこの場所を訪れています。

文学者・小説家として知られる魯迅ですが、もとは医学を志していたのであり、実は魯迅が医学から文学へと転身したのはこの仙台の地なのです。このことはあまり日本人には知られていないのではないでしょうか。

魯迅が医学から文学へと転身するきっかけとなったのが「幻灯片事件」とよばれるもので、これは彼の短編「藤野先生」の中にも描かれています(「藤野先生」は当時の仙台医学専門学校の実在の教授で、魯迅が敬愛し、外国人留学生であった魯迅の面倒をよく見ていた人物です)。それは魯迅がとある授業の合間に教室で見ることになった幻灯片(映写スライド)にかかわるものでした。当時日本は日露戦争のさなかにありましたが、その幻灯片はとある中国人がロシアのスパイとして日本軍に処刑されているのを周囲の中国人が見物に興じているところを映し出していました。同国人が処刑されている姿を見物する中国人の姿に魯迅はいたたまれない思いを抱きます。中国には身体が壮健な若者はたくさんいるが、自らの置かれた状況をきちんと分析し前に進んでいく精神的な力がないと魯迅は痛感します。いま必要なのは医学よりも精神の改造であることに思い至った魯迅は、医学の道を断って文学・小説の道へと進んでいくのです(中国語で「棄医従文」)。そのきっかけを与えたのがまさにこの「階段教室」での「幻灯片事件」だったのです。

仙台といえば有名な観光地の一つに仙台城跡に立つ伊達政宗像がありますが、そこへ向かう坂の途上に魯迅の碑と像があります(仙台市博物館の目の前の庭園内にあります)。これはこの地で医学を学んだ魯迅を顕彰するためのものです。仙台に来る機会があればぜひこの場所を訪れて、日本と中国のつながりに思いをはせてほしいと思います。また「藤野先生」をはじめとする魯迅の作品を読んで、当時の中国の状況や魯迅の日本に対する思い、日本と中国の精神的交流などについて多くの日本人に知ってもらいたいと思います。

takaharunonaka