Road to Bruce Lee - 中国武術の始祖達 前編

歴史と場所を知る

 

広州市のBruce Lee史跡にて記念撮影

異文化に興味を持つきっかけは人それぞれ、料理から始まる人もいればアイドルから始まる人も多々いることでしょう。かくいう私の中国との縁の始まりは、中国武術です。

私自身は格闘家として大学時代の青春を捧げており、私の師匠はブルース・リー: Bruce Leeに心酔していました。ひょっとしたら精神的にはリーの弟子なのかもしれません。

「中国武術ここにあり!」と世界に知らしめた、彼の技術と生き様。其の事績は先達の武術家たちがあってのものです。今回のシリーズは中国武術の夜明けを創り上げた伝説の武術家と、武術の聖地「広東省仏山市」についてご紹介いたします。

影見えず‐黄飛鸿

 

黄飛鸿像と記念撮影をする筆者

中国では「好不打好男不当兵-良い人は釘にはならず、良い人は兵にはならず」という言葉があり、武芸の社会的地位は文芸と比較すると軽視されがちでした。

日本の武術の多くが武士階級から生まれ社会的地位が高いと得ますが、中国武術の多くは民間人の護身術から派生しています。中国武術の社会的な評価には黄飛鸿のかつやくがあったからこそといえるかもしれません。

 

清王朝後期1856年、広東省仏山市で生まれた黄飛鸿。両親が学業を勧めたにもかかわらず、少年時代から彼は洪拳(中国南部の武術で打撃が特徴的)に熱を上げました。16歳の時には一人広州に旅立ち、昼間は薬売りの行商、夜は自警団の一員として夜な夜な盗賊退治にその武術を振るうことになります。おりしも時は中国の混乱期、武術の腕を買われて広州市で武術館を開設するほど名が知られるようになりました。護身術として黄飛鸿氏の技術は高く評価され、「影すら見えない」と称された神がかり的な技術は、荒れた社会の中で多くの門弟を集めるに至ったそうです。

 

天下一の拳とされた、黄飛鸿。彼が本当に評価されたのは武術のみならずその人格と今にのこる老舗企業の創始者としてです。薬売りの行商としても成功した黄飛鸿は「宝芝林」という病院を開設、戦地での医療支援や武術の指導者として社会活動を大きく展開していきました。

 

時を超えて、現在は医薬品メーカーとして企業活動を継続する宝芝林

 

 

強い人間は現役時代こそ尊敬されますが、伝説や記憶に残る人間は文武両道が必要と改めて感じさせられる黄飛鸿の生きざま。おりしも時代は強く明るい物語を求めており、黄飛鸿は1920年代から香港広東省での漫画化や演劇の題材になり、大衆に親しまれるヒーローとして記憶され始めました。1925年に没した黄飛鸿ですが、彼を題材にした映画は現在90本以上以上製作されており、武術家-実業家-慈善家としての今も人々の記憶に残っています。

少年黄飛鸿の物語など、様々な切り口で描かれている人生

偉大なる師匠-葉問

近年中国で再注目を集めた武術家として葉問が挙げられます。日本ではYip Manという名前の方が一般的かもしれません。

2019年に完結編が上映された葉問シリーズ

葉問は1893年、広東省仏山市の裕福な家庭に生まれましたが、幼少期から虚弱体質で健康のために咏春拳(護身術として手や肘を多用する武術)を習い始めました。当時は黄飛鸿などの武術家の活躍もあり各地で武術館が激増する中、裕福だった葉問は高額の授業料(現在の日本円900~1000万円相当)を支払いみっちりと鍛える機会を得ました

 

家族の支援と武術の才能に恵まれた葉問、家業を引き継ぎつつ仏山市で武術館を開設するなど順風満帆に見えた生活は、第二次大戦という大きな時代のうねりに巻き込まれます。戦争によって財産の保持や武術館の継続が難しくなり葉問は1949年、香港へ家族を連れて移住することになりました。

 

当時の香港は中国中から知識人や才能ある人間がは避難しており、武術館も中国各地の流派が乱立していました。葉問がその中で頭角を現した理由はその教育方針にあり、秘伝として技術の継承に制限がある当時に技術を惜しみなく後輩や門弟に公開したこと、他流派との積極的な交流を認めた点にあるといえるでしょう。

 

伝統的な鍛錬器具を用いながらもわかりやすく武術を教えてきた葉問

 

日本柔道の祖といえる加納治五郎氏もレスリングや日本の伝統的な古武術を並行して学んでおり、開放的な教育方針が現在の講道館ひいては柔道の成長を促しました。優れた教育者は時代や地域を問わず、学びの門戸を広げる所に共通点があるのかもしれません。

 

晩年葉問の下に、香港でも名が知られた喧嘩小僧の李振藩が入門します。李振藩は何度か葉問と対立しますが、成長した喧嘩小僧は咏春拳を身に着け、世界の映画界に知られるBruce Leeとして大きく羽ばたくことになりました。

多くの参拝者が訪れる葉問廟にて

近年相次いで映画化された葉問シリーズの多くは、フィクションとしての物語ですが、世界に咏春拳ひいては中国武術を広めた教育者としての事績は紛れもない事実であり、現在も多くの人々に愛される象徴的存在です。

舞は武に通ず-李海泉

李海泉と赤ん坊のBruce Lee

 

さて最後に紹介する方は、武術家ではありません。彼の名前は李海泉、李小龍-Bruce Leeの父親です。1901年に広東省仏山市の役者一家の下に生まれた李海泉は、早くから自身も役者としての生活を始めます。ブルースリーも早くから中国伝統劇の役者として活躍していましたが、これはある意味一族の伝統といえますね。

ここで少し中国の伝統劇についてお話しさせていただきます。各地に様々な流派が存在する中国武術と同様に、中国の伝統劇も多種多様となっております。北京を中心とする京劇、四川省を中心とした覆面で知られる川劇、さらに広東省の武術的な動きを取り入れた粤劇です。李海泉もその一族も粤劇の役者であり、武術を取り入れた練習や役回りを演じたことから、武術との深いかかわりを持っていたといえるでしょう。

 

仏山市獅子舞の足運びも、武術と共通点が多い

 

役者としてキャリアを積んでいた李海泉は早くから海外でも活躍しており、Bruce Leeの渡米のきっかけも作っています。自由奔放に成長してしまったBruce Leeには手を焼いていたようで、性格矯正のために武術を習わせるなど、親として苦労続きだったようです。ハリウッドで成功する息子を目の当たりにする前に、李海泉は香港でその生涯を終えました。

 

【武術の根幹-仏山市】

これまで3名の方を紹介してきましたが、皆様お気づきでしょうか?3名とも仏山市の出身です。激動の時代に武術の伝統を守り抜いた仏山、後編ではその秘密について探っていきます。

 

 

加藤 勇樹