「私と韓国」の話を始めるとすれば、まず中学一年生ごろより知り合いに勧められて韓国ドラマを大量に見るようになり、続いて韓国のアイドルにどっぷりとハマり、中学生・高校生と韓国を勝手に身近に感じながら過ごしてきたことがある。ドラマやアイドルに始まったそれは自分でも気が付かぬまま語学にも到達し、大量のコンテンツを日々浴びているうちに自然と韓国語の一部が理解できるようになっていた。といえば大袈裟だが、そのような経緯から韓国への興味関心は中学生の頃より持ち始め、大学に入ってからは歴史や経済など国としての韓国の面にも目を向けるようにしていた。自身の中で、ある意味、「韓国」像が出来上がっていたこともひとつ挙げておく。また今回の研修にも「韓国語が(少しでも)できる要員」としてお呼ばれしたこともあり、謎の自信とともに取材会や現地の方とのコミュニケーションに期待し釜山へ向かった。
実際には、まともなやりとりをすることはほとんど叶わず、韓国語の能力、それ以前に新たに出会った人とのコミュニュケーション能力はまだまだだと現実を突きつけられる結果になったのだが、事前に渡航メンバーで韓国語勉強会を行っていたことが功を奏し、また取材会や釜山大学の方とのコミュニケーションにおいては英語や日本語も交えることができたこともあり、真剣に困ることはなかったように思う。しかし、特に現地の店員さんとのやりとりなど、「これが言えたら」「言っていることがそのままわかったら」もっと良かったのに、と感じたもどかしさは十分過ぎるほどにあり、また反対にホテルのお掃除の方と辛うじて拙い韓国語でお話ができ、「お気をつけて行ってらっしゃい」などと声をかけてもらえた一部の成功体験は今後の学習への動機になった。
話は逸れるが、茶話日和には言語が堪能なメンバーが多い。私個人も、外国語学習を楽しくこなせるタイプで、色々な言語をかじってきた。ひとつの言語を極めているメンバーもいるだろう。しかしメンバーの中には、同じように事前に勉強会に参加し、実地で言葉を使ってコミュニュケーションを取る事ができても、それ以上の何かに繋がらないという感想を持った人もいた。リアルな実感を伴った学習体験機会であっただけに、さて学習の動機を見つけることは押し付けでは難しいのだなと感じた。
そんなことでなんとか釜山での研修を楽しむ事がだんだんとできるようになったのだが、3日目の釜山大学訪問はそれまでの2日間とは違った体験となったため記憶に残っている。
まずひとつ大きなポイントとして、特に交流会を企画してきた身として、これまでオンラインで何度か会話を重ねてきた釜山大学の学生さんと実際に会う事ができたこと、また相手方も私たちの訪問を歓迎してくれ、楽しんでくださったことは大きな喜びとなった。釜山を訪問する前最後の交流会の時には、その時には研修の計画が煮詰まっていなかったこともあり、半分冗談半分本気で「次回は釜山で!」と挨拶を交わしたが、実際に釜山訪問と対面交流会が実現した感動と、案外釜山は遠くないという感想が湧き起こった。実際に、とにかく釜山は韓国の中で日本と近い都市である。東京から飛行機で2時間。
これまでzoom上で感じていた壁が一気になくなったように感じた。韓国と日本は近い、関係しあっている、そのことを体感した。それだけでなく、今回研修にあたり宿泊していたのは釜山駅のすぐそばだったが、釜山駅周辺と、釜山大学駅の周辺とはだいぶ雰囲気が異なっていたため、電車を降りてすぐに、こんな場所もあったのか、と不思議な感覚に包まれた。釜山駅は、釜山とソウルを結ぶKTX(新幹線のようなもの)が通る駅であり、駅前には高層のホテルが立ち並ぶ一方で、山側には市場やチャイナタウン、また海側には釜山港があり昔ながらの雰囲気を残していた。駅前の大通りを抜けて一本内側に入ると、昔ながらの個人経営の飲食店や、中国やロシアなど多国籍の飲食店、スーパーが立ち並んでいた。山側に進むと階段や坂が多く入り組んだ路地が現れ、比較的低層の住宅が並んでいた。また主に散策した時間が平日の昼間だったこともあり、街には散歩や家の前のピョンサン(縁台)でゆっくりとしているご老人をよく見かけた。一方の釜山大学駅は釜山駅から地下鉄1号線に乗り30分弱の、より山に囲まれた場所に位置していた。駅を出た瞬間から驚いたことに、かなりの人、特に若者や子ども連れ、で賑わっており、駅から大学まで10分ほどのメイン通りには飲食店や服屋、カラオケ店などが立ち並ぶ、いわば渋谷のような、繁華街となっていた。飲食店や娯楽店はチェーン店風のものが多く、道には屋台も多く出ていて学生街の雰囲気を持っていた。釜山という大きな街の中には、歴史を残す港や市場から賑わう学生街まで、さまざまな雰囲気を持つ町があった。
釜山研修で印象に残っていることとして釜山大学訪問を先に挙げたが、それは釜山大学のキャンパスを釜山大学の学生の方に案内してもらったときのことだ。話をしながらキャンパスを歩き、大学生活がどのようなものであるのか、垣間見ることができた。例えば、施設について。大学内に、学生が時間を自由に過ごす事ができるスペースが、特に東京大学の駒場キャンパスと比較すると多くあった。案内をしてくれた方に聞くと、ラウンジや学習スペースは、自分の課題を行うことはもちろん、授業によってはグループワークが課されるため、グループでの作業や話し合いに使うそう。または、町について。キャンパスの最寄り駅からキャンパス内の学生寮までバスが走り交通の便が良いほか、立ち並ぶ多くの飲食店や娯楽施設は、大学の近辺だけで日常生活が完結できるようになっていた。また他にも、「アルバイトをするような時間はほとんどなく、学業に専念することが多い」などの話から、日本の大学生活と比較して、学業が占める割合が大きいように感じられた。
「大学生活は人生のモラトリアム」とも称され、遊ぶことだけをしているわけではないにしても、自分や友人の多くなど、学業以外にもアルバイトやサークル活動など課外活動に時間を割くことが一般に多い日本の大学生活とは少々様子が異なっていることが感じられた。このことには、韓国では、多くの場合、大学に入学することが人生のゴールとはならず、そのさきの就職がかなり困難であることが関係していて、良い成績を取ることが期待されるのだ、だからこそ私は大学で勉強を頑張り、良い成績をとって公務員になりたい、と説明してくれた。
この話を聞いて、自分のことを振り返った。正直、自分にとっては大学に合格することまでがこれまでのゴールとなっていた。その先の目標を自分で見つけることに現在まさに苦労している。裏を返せば、私にはこの先の敷かれたレールが存在せず、自由な道を切り開いていくことができる。しかしやっと手に入れた余るほどの自由は少々苦痛にもなりうる。私が今おもうことは、とりあえず与えられた時間を享受する他ないということだ。苦労して手に入れた大学生活でやりたいこととはなんであったのか。もう気が付かないままモラトリアムの半分を終えてしまいつつある。ただ、傲慢ではあるが、私をそうさせるような環境もあるのだし、この大学生活、人生の中で最後に許された猶予を生き急ぐことなく、人と会うことでゆっくりと消化していきたいとも思うのだ。