釜山見聞録

茶話日記

我々は2月27日から3月3日の4泊5日間、韓国・釜山へ研修に行った。釜山での研修は、学び、出会い、気づきがあるとともに、反省や悔いが残るものともなった。

茶話日和の研修として海外に行くことと、旅行との違いはなにか、といえば、「茶話日和」が大切にしていることを意識できるかどうか、という点であると考えていた。普通の旅行であれば、旅先ですることとなればガイドブックに載っている「韓国感」が感じられる場所に行くことがメインになるだろう。少なくとも私がこれまで行ってきた類の旅行とはそのようなものであった。振り返ってみれば、私は旅行先で人と関わるといえば、会計の際や電車で少し話すぐらいで、長く立ち話をしたりとか、ライフヒストリーを伺ったりすることはほとんどなかった。行くことを目的にし、ただそこに身をおくだけでも素晴らしいことであるが、今回の研修ではただそこに身を置くだけでなく、交流をし、そこから何か感じることや考えることがあればよいのではないかという風に考えた。茶話日和のコンセプトの一つに、東アジアの人と文化を発信することというのがある。そこに暮らしている人と関わり、彼らの文化を知り、それらを発信することまで含めて研修と言えるのではないだろうか。

2月27日に、成田空港を出発し、釜山へと旅立った。福岡出身の私にとって、韓国、特に釜山市は小さなころから地理的にも心理的にも近い場所であった。休みの日を使い、日帰りで釜山に行く方もいれば、釜山出身の方、親が釜山出身、などという方は周りに多くいた。一方で、時折流れてくる日本と韓国の暗いニュースなどからは、時に韓国が遠い国であると感じることもあった。フライトを終え、釜山駅に到着し、ホテルで少しゆっくりしてから、駅近くの通りを歩くことにしてみた。テキサスストリートやチャイナタウンの、奥が暗く、やや不気味な雰囲気もするが、なぜか歩き進めてしまうその雰囲気は鮮明に記憶に残っている。ちょっとした歴史資料館にも立ち寄った。ドアや受付などはなく、道行く人に開放されている。そこには、1900年代初頭の釜山を映した写真があった。歴史好きな私は、「この写真に写っている人たちも今私が歩いているところを歩いていたんだ」と少し感傷に浸っていた。メンバーの数人で焼肉を食べ、1日は終了した。

翌日は国際市場に行き、40代頃の女性と彼女のお母さまと思われる女性(韓国語では、お祖母ちゃんのことは「ハルモニ」と呼ぶらしいので、ここでも「ハルモニ」と呼ばせていただく。)が営むご飯屋さんで朝ごはんを食べた。ガイドブックなどに載っている店に行くのもいいが、ローカル店にはやはりかなわない。地元の人が食べているものを実際に食べることで、言葉はしゃべれなくてもその土地の人になったような気分に少しばかりなれるからだ。そのお店も、地元の方で盛況しており、買い物の途中で立ち寄り釜山おでんをつまんでいく人が多かった。ハルモニは慣れた手つきでキンパを巻き、娘さんが会計をしたりお客様に商品を渡したりとせかせかと動いている。もちろん英語などは通じず、たどたどしい韓国語でどうにか会計まですませた。釜山の味がした、そんな気がした。

昼頃からは、釜山日本人会、釜山韓日親善協会などの韓日交流団体の方々にインタビューをさせていただいた。釜山日本人会の会長である飯淵様は、「韓国と日本の間には尊敬心と軽蔑心がある」とおっしゃった。私がこれまで感じてきた、近くて遠い韓国というのもこれではなかったのだろうか、と思った。インタビューで、私は、「happy arts」という団体の代表をやっていらっしゃる佐藤祐子様のお話をお伺いした。韓国人の旦那様とのご結婚を機に渡韓して今年で20年以上になる。最初に韓国に来た当時の韓国と今の韓国で変わったと感じる部分や、韓国社会のジェンダー、苦労したことなど、日本では聞くことのできない話を多く聞いた。草の根レベルでの交流がいかに大事か、そこに茶話日和が存在する意義を見出した。インタビュー後は、釜山韓日親善協会の会長のご厚意で、地元で人気のポッサム店へ行った。会長がおっしゃった、「交流は、続けることに意味がある。今回の釜山研修で終わりではなく、これからも仲良くしていきましょうね。また釜山にいらっしゃったときは、ぜひ会いましょう。」という言葉が心に残った。インタビューはゴールではなく、通過点であり、できた縁を今後も繋いでいくことは茶話日和のあらゆる活動を始め、私という人間の人生でも重要なことだと感じた。

3日目は、釜山大の学生との交流がメインとなった。釜山大の学生との交流は長らくオンラインでやっており、お互いに「やっと会えましたね!」という感じであった。私の名前や出身が福岡であることを覚えてくれている方もおり、本当にうれしかった。壮大な釜山大の中でキャンパスツアーをしながら、韓国と日本の教育やアニメなど、話すことは尽きなかった。聞いて驚いたのが、韓国ではソウルにすべてが集中しており、何をするにもソウルという風潮があるという話である。日本では一都市集中はあまり考えられないことだったのであまりイメージがつかなかったが、釜山からも人口がどんどん減っていると話してくれた。キャンパスツアーのあとは、釜山大の方々と夜ご飯を食べに行った。話が弾み、連絡先を交換したりと、現場の雰囲気はワイワイとしていた。食後もスイーツ屋さんに行き、私のお気に入りの韓国ドラマや俳優の話を聞いてもらったりと、遅くまで一緒にいた。一方で、韓国語が課題となった。彼らが話す流暢な日本語に頼りすぎていた部分があると、今となっては反省している。あと少し分かれば、と思う場面が何度もあった。2Sセメスターでは、韓国語を勉強し、また開催される釜山大交流会では韓国語でのコミュニケーションが行えるようになれたらと思う。初日に白先生から「韓国語ができる人に頼りすぎないように」というアドバイスを受けていたが、今度茶話日和でどこかに行く機会があれば、今回よりもっと自分の体、口、耳を使って現地の言葉でコミュニケーションができればいい。見知らぬ場に一人でいるときは、得体のしれないパワーが出て、自分から動くが、今回は仲間がいるゆえに、自分から動くことが足りなかったのではないかと感じる。「向こうから話しかけてくれないかな」という他力本願ではなく、まずは自分から動くというそのパワーを、いかなるときも出せる人間になろうと思う。

4日目は、釜山大の方々におすすめしてもらった海東龍宮寺や、海雲台ビーチなどを訪れた。海に面した海東龍宮寺は、色鮮やかで、厳かとしており暗かった寺のイメージを覆した。帰りのバスの中からは、釜山の街の風景をじっくりと見ることができた。店の名前も看板も韓国語だらけなのに、なぜか、故郷の福岡と通じるものを感じた。それは、港町で、首都に比べて時間の流れがゆっくりしている雰囲気があるからだろうか、と、振り返ってみて思う。

韓国研修を終えて思うことは人それぞれだが、私はやはり草の根レベルでの交流がどれだけ重要で尊いものであるか実感した。加えて、今回紡ぐことのできた縁をより深いものにしていきたいと感じた。また、今回私が特に気にせず、さほどなんとも思わなかったことについても、ある日パッと思い出し、何かとつながるかもしれない。それが旅の、広くは人生の面白さである。いつ役立つか、つながるかは未知であり、点と点がつながり、新たな発見があったとき、私は「韓国研修に行けてよかった。」と再び思うのであろう。