今回私たちがお話を伺ったのは、華僑4世として横浜で生まれ育った、横浜山手中華学校副校長の羅順英先生です。山手中華学校で幼稚園・小学校から中学校の11年間を過ごされ、その後音楽の先生として母校に帰ってこられた羅先生。華僑4世として悩みながらも考え続けた経験を詳しくお話していただきました。
横浜山手中華学校は「Chinese Spirit」と「グローバルな視野」をもつ華僑華人を育てるため、小中一貫教育を行っています。小学生には、主に中国語を用いて授業を行い、中国への興味関心の基礎を作り、中学生には、高校進学を見据えて中国語や中華文化の授業以外に日本語での授業を行います。華僑・華人の生徒だけでなく中国にルーツのない日本人の生徒も在籍しています。
ーーまずは羅先生やご家族の生立ちから伺います。羅先生もご両親もここ横浜で生まれ育ったということでしたが…
そうですね。父方の羅家は横浜が開港してから間もないころには移住してきたみたいです。ですが、祖父は父が幼いころに亡くなったので、羅家のルーツをそこまで深くは知りません。母方から数えると私は華僑3世に当たります。その親戚も香港や広東にいるらしいのですが、今では交流も疎遠になってしまいました。親戚の中にはカナダへ移住した人たちもいるみたいですが、全く連絡などはしていませんね。
ーーでは、中国へ帰省するということはないのでしょうか?
おじいちゃんもおばあちゃんもずっと横浜にいたので、中国への帰省はないです。私たちの家族はずっと横浜で生きてきました。
ーーちなみにですが、先生ご自身のパスポートは日本と中国どちらを選ばれたのですか?
※パスポートは一般的に国籍と一致しています。ただし日本では20歳まで二重国籍が許され、成人以降はどちらか一つの国籍を選ばなければいけません。
よく驚かれますが、私は中国国籍です。実際華僑の人の間でも日本国籍に帰化する人もいます。でも、国籍まで日本に変えたらそのまま(中国との繋がりまで)なくなっちゃう気がしています。 なぜかというと、もう中国に親戚がいるかどうかもわからないし、 中国とのつながりもないからです。中国のパスポートがなくなってしまったら、もう自分と中国を繋げるものがなにもないっていう感覚があります。
ーーなるほど。
だから私の弟も(日本国籍に)変える気はないと思います。
もしかしたら両親の教育の影響もあるのかもしれないですね。 うちの両親は(日本で生まれ育っても)やっぱり中国が自分の国だと思って生活してきて、その親に育てられたので。
もちろん私も音楽を勉強していてヨーロッパに行きたいなと思うことがあっても、パスポートの関係でダメなことがありました。日本のパスポートは便利だなと思うこともありました。 もっと言えば、大学の時に奨学金を受けたくても日本国籍じゃなければ受けられないということもありました。日本国籍じゃなくて中国国籍、でも留学生じゃないから申請すらできない。そういう悔しい思いもしました。
自分のなかでも(中国国籍で困ることもたくさんあるけど)、それでいいのかなって納得することもあります。今は国籍がどうこうっていう時代ではなくなっていると私は思うので、別に(中国)国籍にこだわる必要はもうないって思っています。でも、わざわざ日本に帰化しようって思いはないです。中国国籍がなくなったら、私の家系もそれで途絶えてしまうのではないかな、みたいな感覚に陥ります。
ーーパスポートすら変えてしまうと中国とのつながりがなくなってしまうという感覚は、日本人として生まれ育ち当たり前のように日本国籍で過ごしてきた私からすると、不思議な感覚に思えます。
そういった感覚は先生が母校で教師として働くことにどのような影響があったのでしょうか?
ひとつ衝撃的だったエピソードがあります。小学校から9年間中華学校に通い、中学卒業後は公立高校に入りました。偶然、街中で中華学校の先生に出会って、中国語で「高校は楽しい?」って聞かれました。でも、私は咄嗟に「楽しいです」って中国語で返事ができませんでした。いまだにはっきり覚えていますよ。「我很开心(楽しいです)」とか、簡単な言葉も出てきませんでした。私自身すっごくショックを受けました。「楽しい」なんていう簡単なことも中国語で言えなくなった私って…というものすごくショッキングな出来事でした。
それで、私の中で「これでいいの?」みたいな想いが生まれました。「中国語を喋れなくてもいいの?」ってなったのがまずポイントでした。でも、だからといって中国語を学び直そうということまではできなかったです。大学進学を考えたときも、言葉(中国語)を勉強するのは好きだったので、中国語を活かせる仕事もいいかなと考えはしましたが、選びませんでした。
小さい頃から音楽をやっていたので、高校に入った時には音大受験を視野に入れて音楽の勉強を続け、そのまま音楽の道に進みました。でも、中国語をもう一回学び直したいという思いは心のどこかであったと思います。 間違いなく。心の底で「中国人なのにこれでいいの?」と思っていました。
ーー高校生のころの経験がずっと心の中に残るほど印象的だったのですね。
他にもこのような経験はいくつかありました。その中には例えば、習い事へ行ったときの経験があります。「羅さんって中国人でしょ?」とか「中国人なの?」とか聞かれました。 私が「うん、そうだよ」と答えると、「なんでそんな簡単に『うん、そうだよ』とか言えるの?」って驚かれたんです。
中学の時に英会話へ行っていたら、ある子が私に話しかけに来ました。小さい声で「あのね、私、本当はね、私の名字謝って言うんだよね」って言われました。私はえっ?と驚きました。だってその子は日本人の苗字を普段使っていたから。そしたらその子は「日本の学校に通っているし、日本の名字を名乗っているんだよね」って言っていました。
そんな風に自分のアイデンティティに触れる経験がちょくちょくあって、そのたびに「私は日本人なの?中国人なの?」って考えていました。高校に入ってからはオープンに「私、中国人だけど。」みたいなスタンスでいました。私は周りに恵まれていて、お友達のお父さんお母さんも、「そういう子とはね、お友達になった方がいいわよ」とか言ってくれる人が多かったです。私はすごくよい環境だったと思っています。
ーーどのような経緯で中華学校の教員になられたのでしょうか。
当時の校長からお声がかかりました。中国語ができて、日本語ができて、音楽ができて、教員免許を持っているっていう人はなかなかいないでしょう。自分としても、中国語にもう一度触れることができるっていうのもあったし、自分が音楽の教員になってもいいなっていう、もともとの思いもありました。
教員になることが決まってから、就職前研修として北京に行くことになりました。帰ってきたら音楽以外にクラス担任と、中国語と算数を中国語で教えてくださいという約束でした。
研修期間は、本当は1年間ですが、コンサートの出演が決まっていたので、 4ヶ月の研修になりました。
北京に行って最初の1ヶ月は、中国語で話しかけられても言葉で返すことができず、首を振ることしかできなかったです。そこでもやっぱり友達に恵まれました。インドネシアやタイの華僑・華人の留学生が多くて、一緒に生活をしているうちに、中国語が話せるようになりました。彼ら彼女らと話している中でいろんなことを知りました。「なんであなたは中国パスポートなの?」と、みんなからよく聞かれました。当たり前だと思っていたから、初めは言っている意味がよくわからなかったです。「なんで日本に生まれているのに日本パスポートじゃないの?」っていう話から始まって。そこでだんだん自分でも色々分かるようになりました。
※「華僑」とは、中国に出自を持ち、移住先の国の国籍を持たない人、「華人」とは中国に出自を持ち、移住先の国籍を取得した人のことを一般的に示します。
ーー外の世界を知ることで自分が相対化できる経験だったのですね。中華学校から卒業して高校に入ったときにもギャップを感じるエピソードはありましたか。
中華学校を出て、高校行くってすごく怖いことです。それまでずっと中華学校のなかだけで生きてきたからですね。「どうやって友達作るの?」と不安な気持ちになります。 そのことに不安を持っている子が、今もっと多いかもしれないですね。だって、皆さんもおそらくそうですよね。入学前にはLINEでグループができていて、それに入ってないともうだめ、とか。だから、そういう、私たちと違う不安はあると思います。でも、そういったことを、私なんかも経験しています。例えば、最初、どうやって声をかけていいのかわからなくて、隣の子に、本当は消しゴムを持っているのに、「消しゴム貸して」って言ったことがあります。本当の話なの、みんな笑いますけれど。
でも、そうやって、声をかけるきっかけを作るしかないですよね? お弁当とかも、みんなで机をつけて向かい合わせで食べるっていう習慣、中華学校にはありませんでした。みんなが机を動かし始めて、えっ、えっ、と戸惑うみたいなことがありました。「一緒に食べよう!」って言葉が、ここ(喉元)まで出るんだけど、なかなか言えないとか、どうやって声かけようとか。そういう経験を生徒にもたくさん話してあげます。日本の学校文化の中で育った子からしてみれば、たいしたことではなくても、中華学校の子は、知らなかったり、未経験だったりするので、そういうことを面白おかしく子どもたちに言いながら、不安を解いてあげるようにしています。小さいことに見えても、とても大きいことだと思っています。
ーー その意味で日本の小学校でマイノリティとして生きる子たちと、中華学校に通う子たちは全然違うと思いますか?
私は違うと思います。 例えば、中華学校に転入してきたいっていう方の問い合わせで多いのは、 親と子との間で、お互いの考え方が理解できなくなってきたという話です。公立の小学校っていうのは、日本人のための日本人を育てる教育をしています。華僑や華人が日本の公立校に通って、ある程度の年齢までは良くても、これが3、4年生くらいになってくると、親と子どもの間で、だんだん話が合わなくなってきちゃうことがあります。 例えば、親が何か子どもに話して伝えたいことが伝わらないとか。それはつまり、親子の間で言葉のレベルの差が出てきて、親は大事な話を日本語でうまくできない、中国語で話すと、子どもはわからないということがあります。お互いの考えが伝わらず、親子関係がうまくいかなくなってくることがあります。
中華学校の教育は、日本にいる華僑を育てることにあります。私みたいに、中国人でもない、日本人でもない。 日本では中国人って言われて、中国に行くと日本人って言われるところで生きています。おそらく私も、この7,8年でやっと自分のアイデンティティが落ち着いたっていう感じです。 パスポートや国籍がどうこうじゃなくて、「華僑」なんですね。
私の父はずっと、「日本人より日本人のように振る舞いなさい」って教えていました。 そうしないと周りから信頼を得られないからです。今はそうでもないけれど、昔は、ただ中国人という立場っていうだけで、日本の会社に就職することだってできませんでした。中国人っていうだけで差別されました。同じスタートライン、同じレベルに立つには日本の人に認めてもらわなければいけませんでした。日本人よりも日本人のように振る舞ってやっと、認めてもらえました。だからとても気をつけています。例えばご挨拶一つをとっても丁寧に。そこまでやる必要はないと他の人は思うかもしれないけど、やります。そうすると、認めてくれて次に繋がることがあると考えています。
ーー最後に質問です。学校で今学んでいる子どもたちには将来どのような人間になってほしいとお考えですか。
学校としてではなくて、私個人の意見ですが、中華学校の子どもたちには、どんな人ともわけ隔てなく付き合っていける人になってほしいと思っています。 そして、そのベースの教育がこの学校にあると思っています。
大切なことは、相手を知ること。 簡単に言えば相互理解ですね。 何かするにしても、相手のこともしっかりと知った上で物事は進めていった方がいいと、私は思っています。もしかしたら、相手は私のことを理解できないかもしれないけれど、少なくとも私は何とか相手を知ろうと思って、話を聞いて、いろいろお話したいなって思います。
ーー茶話日和のコンセプトもやはり相手を知るということにあります。
中華学校の場合は、さまざまな背景を持った子どもたち、保護者たちと一緒に学校生活を送っているわけで、相手を知るという気持ちがベースにないと、学校としてのまとまりがなくなってしまいます。子どもたちがどんな人ともわけ隔てなく接して、自分のやりたいことを見つけて進んでもらえればいいかなって私は思っています。
先生にも、生徒にも「それ普通でしょ」、「それ常識じゃん」、「それ当たり前」とかは絶対言わないように気をつけています。相手がどうしてそのように思ったのか、相手のことをしっかりと知っていこうとしています。相手を知るって、引き出しが増えることだから自分のプラスになりますよね。私は知らない世界を知ることができるのが楽しいです。
ーー最後のお話が共感できるなって思いました。わけ隔てなくということは大事ですよね。ですが、実践することはとても難しいと感じます。
私にとっても、未だに難しいですね。中華学校の先生にも私のような卒業生、中国から来ている先生、日本の先生って3種類いるわけで、先生たちをまとめるだけでも結構大変なことです。でも、もしも先生が全員日本人だったからといって、無条件にうまく行くかといえばそうでもないですよね。 だからそれ(異なるバックグラウンドを持った先生で構成されていること)を、先生たちをまとめることが難しい理由にしてはいけないのだろうなと思っています。でも、育ってきた環境が違うっていうのはやっぱり大きいですよね。さまざまな違いはあるけれど、先生たちはみんな良かれと思ってやっているわけですから、心の中では先生みんなのいいところを引き出したいと思っています。
6歳から18歳という時期はその人のベースを作る時期です。小中高は大きくその人に影響すると思います。
わけ隔てなく接する心を育てるために、環境が大事であると思いますが、そんな意味でも中華学校はすごくいい環境だなって思いますね。 いろいろなところの人が集まっていて、だからこそこの学校が成り立っているから。逆に言えば、いろいろな人がいなければ、中華学校は私たちらしい教育ができないと考えています。
ーーありがとうございます。日本と中国の境界という難しい境遇で生きてきた先生だからこそ、中華学校の子供たちに伝えられる教えが少しでも分かった気がします。
編集後記
今回中華学校という日本人が一般的に通う学校とは、環境も教育方針も異なる学校に伺わせていただきました。羅先生の半生についてお話を聴かせていただき、中華学校と自分が通った学校を比較することでそれまで見えてこなかった、学校の側面や足りない部分が明らかになりました。中国にルーツのある子供にとって、自分のアイデンティティや帰属意識を持つ文化というのは日本人のそれとは異なることがあります。そういった部分を学び、吸収するうえでは中華学校は他の学校よりも適している(私が教育の良し悪しを判断すべきではないですが)と感じました。また、長年自分のアイデンティティで悩み、考え抜いてきた先生だからこそ、似たような境遇に置かれた子供たちに寄り添って乗り越える術ややさしい言葉をかけてあげられるのだと実感しました。(工藤)
インタビュー・記事:工藤怜 蟹江優衣 井上莉沙