"釜山愛"がつなぐ日韓の輪

人を知る

韓国・釜山で会社を経営する傍らで、釜山に居住する韓国人と日本人を繋げる場を作り釜山の魅力を発信する活動を行なっている社団法人ぷさんさらん(以下 ぷさんさらん)代表である昆 雅之さんにインタビューをさせていだだきました。

  ぷさんさらんとは韓国語で釜山愛(부산사랑)という意味です。日本人の昆さんがなぜ韓国で生活するようになったのか、また18年間韓国で暮らしてきた昆さんから見た日本と韓国の違いや、他の韓国の都市と比べた釜山の特徴についてお伺いしました。

インタビューに協力して頂いた昆さん。朗らかな笑顔で。

 

ーー本日はよろしくお願いします。ぷさんさらんは2015年から活動されている団体ということで、改めてどういう活動をされてるのかを簡単に説明お願いできますか。

釜山で留学している日本人留学生と釜山に住んでいる韓国人の大学生と共に今はボランティア、それから韓日交流のイベント、それから釜山の広報活動、この三つをメインにして活動を行っていまして、基本的には楽しいことをみんなでやっていこうよという団体です。特に留学生は一時期ここに釜山に来るだけなので、その留学している期間に言語だけじゃなくて、この釜山の現地の人、またはその文化習慣、そういうものを経験するためのものとして、個人ではなく、こういう団体として何か大きなことをやれるように、より深く交流できるような形で、今交流を深めている団体です。 

 

ーーありがとうございます。こちらの話ですが、私たちのサークル茶話日和も、構成員の半分が日本人学生、逆に残りの半分は日本に来ている留学生の方たちがメンバーで、互いに文化交流をする団体なので、近いところがありますね。ぷさんさらんはボランティア活動と日韓交流イベント、広報活動の三本柱で活動されているとのことで、 ではまず一つ目のボランティア活動というものは、具体的にどういう事をされているのですか?

これの目的は、基本的に韓国の子供たちが日本っていうものを理解できるような体験できるようなものとしてメインとして考えていて、始まりは児童養護施設、つまり親御さんがいらっしゃらない子供たちがいる施設に訪問して日本文化体験を、その時でいうと、スイカ割りであったり、射的であったり、あと流しそうめんだったり、そういう日本文化を体験することによって、少しでも日本のことを理解してくれればいいなということで、3年ほどさせていただいたんですが、コロナだったりで活動が出来なくなってしまった。そのあとは、日本のアニメーションの上映に250人子供たちを無料招待したり、または去年ですけど、5月5日こどもの日には、日本のお菓子を持ってきていろんなお菓子を混ぜて200袋に分けて、子供たち限定でお渡しをしたり。今年の 1月1日には、日本のぜんざい、お餅ですね。お餅を自分たちで作って、餡子も全部作って、街中で300名分かな1月1日に 配りまして。

 

ーー300人というとすごい大規模ですね。

そうですね。だからずっと寒い中だけど、そういうちょっとした日本文化を体験できるような形で、なにか相互理解というか、そういうことを通じて直の韓国人に接することで、私たちやっている日本人も韓国の方を理解することができるし、韓国の方も理解していただける。そういう部分で、何か自分達にできることっていうことで、ボランティア活動をやっている感じですね。

 

ーー聞いたりするだけだと分からないところも、実際に食べたり、例えばスイカ割りだとか自分でやってみたりすることでしか分からないこととかもありますよね。

ぷさんさらんの将来の目標は、小学生のサッカー交流大会を開催することです。釜山の姉妹都市である福岡と下関からそれぞれ小学生のサッカーチームを招待して、昼は交流試合で共に汗を流し、夜はバーベキューしてお風呂に入れば、小学生だからこそ言葉がわからなくてもこうした交流を通じて何かしら生まれるものがあるのではないか。うまくいけば、夏にまた遊びに行こうかなみたいな感じでお互い家に遊びに行けるかもしれないし、大きくなったら日本に留学してみたいなだとか、こうしたイベントをきっかけに少しでも交流が始まればいいなと思っています。

 

ーーついこの前のFIFAワールドカップで韓国は12年ぶりのベスト16入りを果たしていましたね。日本も強豪を打ち破り同様に16強入りを果たして国内でもすごい盛り上がりをみせました。今ちょうど東アジアでサッカー熱が結構上がっていますし、実現できると盛り上がるのではないでしょうか。

 いきなりゴールは難しいかもしれないですけど、そういった流行りにも乗っかって少しずつでも色々できればいいなと思います。

 

ーーでは次に日韓交流イベントについてはどういう事をされていますか?

これはですね。基本の目的というものがまずありまして。 私にも韓国の友達がいて、で多分その韓国の友達にも、日本の友達がいて、そういう友達となんと言いましょうか、日韓の国同士は政治、歴史を考えるといろいろあるけれども、しかしここにこだわっていてはやっぱり友情っていうものは育まれない部分もあるから、じゃあ私たちができることとして日韓の壁を、その見えない壁というか、そういうものを自分たちの力でなにか割れないか、壊せないかっていうところでその日韓交流イベントをやっているのがありますね。で、日韓交流という形で何か食事会だとか、お話し会だとかを初期の頃はやってたんですけど、まあ正直なんか合コンみたいな感じになる雰囲気があったりとかして、だけど元々の目的はそこじゃないので。 だからじゃあどうしようって考えた時に自分達がそのイベントを、大きくして主催してしまえばいいのではっていうのを考えまして。 それでやったのが、このコロナ中だったのですけど、ワンデーカフェということで、営業しているカフェを一日自分たちで貸し切ってしまって、運営側に入って、学生たちが実際に運営・経営する。メニューを考えて、もちろんそのカフェの方がコーヒーは作ったりするんですけどね。だけども、自分たちで広報して、そしてイメージコンセプトを作って、お客さんを呼びながら、その中で来られたお客さんが韓国人、日本人関係なく、その場でいろんなお話ができるような空間をつくりました。

 

ーー面白そうですね。

合計四回やったんですけどね。最初のカフェでは趣味でやっておられるサックスの方をよんで演奏していただいたり、ギターをやっている大学教授の方をご紹介したりしました。このカフェっていうのは、お客さんは恋人だったり、家族だったり、グループだったりで来られるんだけど、そのグループごとに目的があって、入って各々コーヒー飲んで帰ってしまうのではなくて、入った時点、もうその店の中は全部仲間みたいな雰囲気で、みんなで交流をしてもらうにはどうしたらいいかってことは、学生が考えていく課題でした。 カフェの中に、射的だったり、スーパーボールすくいであったり、そういうお祭りブースを作るとむしろ大人が盛り上がって、じゃあ一緒にやろうかって全く知らない人を誘いながら、射的を知らない韓国人の方に対して日本人が教えていくだとか、そういう何かの交流を生じさせるような形でワンデーカフェっていうのを何回かやってみました。また去年の夏になると日本のビアガーデンをヒントに、ここの近くにあるホテルの屋上の何もなかったところに、ビアガーデンの会場もセッティングも作ってしまって、2日間なんですけど、そこにアサヒビールさんだとか、かっぱ寿司さんだとか、合計30社の企業の協賛を得て、日韓交流を野外でやりますってことでやりましてね。 2日間で388名、スタッフ合わせて400名。アサヒビールさんとの交渉だとか基本的なお膳立てだけはこちらでやるんですけど、学生さんが中心となって企画する形で開催しました。入場料を一人3万ウォン(約3000円)払って入っていただけたら、ビール飲み放題だったり、お寿司食べ放題だったりとか、いろんなことをやることで、韓国人とか日本人の方が、今日ここで知り合ったんですよっていう人たちも色々お話ができるような空間っていうのを作りました。 何と言いますか、何もやらなければやらないでいいんだけど、何かをやることによって人との交流が生まれ、話が生まれ、そして何か新しいことの道筋ができるっていうのが、私たちの目的でもあるので、ビアガーデンに関してはまた今年も開催の予定になっています。 

 

ーーなるほど。 要は受け身の姿勢ではなくて、自分たちでイベントを盛り上げていくという姿勢でやることで、どんどんむしろ交流が加速して行くことを狙ってるんですね。

そうですね。だからスタッフの方も単なる企画・準備されたものを手伝うんじゃなくて、自分たちが交渉して自分たちが準備して、自分たちがそういう仕掛けをする側にいるっていうことで、学生たちも準備する韓国人・日本人も仲良くなるし、そしてそういう準備する側を体験することもできるので、学生にとって大きい経験になるんじゃないかなと思ってます。

 

ーー貴重な経験になりそうですね。 ありがとうございます。では、次に広報活動というものについてお聞きしたいです。

これは元々、ボランティアをやってても、そのただやってるだけで、自分たちがこういう活動をやっているという発信ができないんじゃないかっていうことを2015年の時に思ってて、これからは動画の時代だということで、今は一般的になりましたがYouTubeを中心に活動させていただいています。その時の留学生のメンバーを集合させて始まったのが、ぷさんさらんのチャンネル、今は「わぼいそ釜山」という名前で知って頂いてはいるんですけど、6万7000人ほどのチャンネル登録者がいます。

 

ーー私も今日このインタビューの前に動画を拝見しました。

これは元々はそのボランティアを自分たちはこういう風にやってるんだよ、こういう目的でやってるんだよっていう思いを伝え、活動を報告するための場だったんですけど、誰も観ないんだったらっていうか、それだけだと見る人がいないのであれば、 何か釜山のために何かできることをということで、留学生が中心になって考えて動画を作ってみようよということで。釜山にはご飯のおいしいところが多いから、まず食べ物を紹介していこうよっていうのがどんどん発展して、現在450本の動画を上げることになりまして。だけど、これがマーケティング違いで、視聴者の70%近くは韓国人の方なんですよね(笑)

 

ーー韓国の釜山の魅力を日本人に伝えるっていう目的の動画が、なぜか多くの韓国の方に動画を見られているんですね。

 逆に日本人が韓国の食べ物をどのように食べるんだろうとか、どういうふうなリアクションをとるんだろうか、どういう風に感じるんだろうかというのが気になるんですかね。

 

ーー韓国の方も、結構自分たちの文化が他の文化圏の人にどう見られているかっていうのが気になるんですかね。

そうなんですよ。だからそっちの方がメインになってしまって。それで今は釜山の方もまた知らない釜山の食堂といいますか、隠れた名店っていうのをうちが発掘するので今ではうちのチャンネルを見て釜山を回る韓国人がいるそうです。

 

ーーそれはそれでなんか面白いですね。

逆転現象になっているんですよね。 だけど、それもちょっとした広報になるのであればいいです。

 

ーーそれも、ある意味日韓の交流ですしね。

そうです。それでコロナで3年中止になってしまいましたけど、そのユーチューブの視聴者を中心に2018年、19年は毎年一回、6月はバスツアーということで、バスを一台貸し切って日本人の方40名を連れて、私たちが作った釜山のコースを一日回っていました。ガイドブックには載って無いようなところを廻って1日楽しみましょうみたいな、そういうこともやっているので、釜山の表面ではなく、地元で私たちが住んでるからこそわかる釜山のいいところを伝えたいです。

 

ーーなるほど、釜山の魅力を再発見するという感じですね。 7年前から活動投稿されていて、現在7万人近くの登録者がいらっしゃるとのことで、今では結構YouTuberとかいうものが結構増えてきて自分の動画を見つけてもらうことすら少し難しいと思うんですよね。なので、今のぷさんさらんのの人気というものは最初から少しずつ少しずつ上げていったものなのか、それとも何かしらの動画がきっかけで一気に有名になったのかが気になります。

私たちは比較的成長が遅いチャンネルというか、やっている人たちがYouTubeをメインにしてやろうとしている訳ではなく、ほかの職業を持ってやっている部分があって、純粋に釜山を自分たちが楽しんでいる動画を発信して、それを気に入っていただけたらいいなと思ってやっています。なので動画はずっと一週間に一本のペースですね。しかし、4〜5年前ごろでしょうか、韓国の中でもK-popっていうのが目立ってきて、TWICEだったりBTSだったりっていうのが日本にも知られるようになった時に、ソウルだけじゃなくて釜山もあるよっていう視点が出始めて、その当時に釜山をメインにしたYouTubeってうちしかほぼほぼなかったんですよ。今は少し増えたんですけど。その時はほとんど皆無だったので、だから釜山っていうのを調べた時に、うちが真っ先に検索に入ってきたところはありました。すごくそれはありがたかった部分でもあり、逆に言うと、じゃあその釜山っていうものをどのように伝えられるかっていうものは、チームの課題になってて。 今でもね、どんな動画がいいのか分からない部分もあるはあるんですよね。だけど、できるだけ再生回数とかチャンネル登録数とかは二の次というか、目的はそこではなく、釜山をどのように楽しめるか、私たちが楽しんでる釜山っていうのはこうだよっていう動画を見て、日韓交流イベントであったり、バスツアーであったり、そういうイベントのために直接釜山に来ていただけたら、我々としてはそれで目的が達成かなという感じです。

 

ーーなるほど。コロナ禍がここ3年ほど続いているんですが、他にぷさんさらんの活動の中で変化はありましたか?

 実際、観光客は全く韓国に来れなかったので、活動が小さくなるのかなと思い、こちらでも活動をどのようにしていこうかなと思ってはいたんですけど、新しくワンデーカフェだったりとか、コロナ禍だからこそ何かしらこう頭を使って作るイベントっていうのが思ったよりすごく多くなってきまして。だからビアガーデンはその最たる例で、別件の用事でそのホテルに行った時に、ふと上を見たらいい屋上持ってるなこのホテルと思って何かに使えないかと交渉したらOKが出て、部屋の中で何かイベントをするというのはまだ不安な部分もあったので、外で何かイベントをすればうるさく言われないでしょうという発想からビアガーデンは企画されました。多分コロナがずっと続いていたら、動画をメインに活動を推し進めていたような気がして。 だけど実際、今うちのメンバーの半分は日本にいるんですよね。コロナ禍ではそのメンバーが釜山に来れない状況だった。だから動画はとりあえず韓国にいるメンバーで細々とやりましょう。代わりに、韓国にいる日本人であったり韓国人であったり、その方々との交流というのをちょっと増やそう。コロナだからこそ少なくなりつつある交流を増やそうというのが、コロナ禍で変わった点ですね。

 

ーーあくまでYouTubeは、この活動の広報という立ち位置なのですね。

YouTube活動はうちのメディア部みたいなものです。活動して取材を受けて、新聞やテレビで取り上げてもらってとか、そういうことを昔はやったんですけど、今は自分で発信ができるので、そのSNSの一つとして、YouTubeを活用しようということです。 

 

ーー釜山の魅力を伝える上で、先ほども言われていたんですけど、韓国といえばソウルが首都として有名ですけど、ソウルにはなくて釜山にあるものっていうのを昆さんはどう考えていますか? 

ソウルはなんでも十倍なんですよ、実は。日本人の観光客も釜山の約十倍。在住日本人も約十倍。あと日本人学校の生徒も約十倍。 留学生の数も約十倍。ほとんど十倍の差なんですよ。

 

ーー10倍というと、結構大きな差ですね。

そうなんですよ。情報と文化が集中するソウルがメインで韓国はずっと動いている部分があって、やっぱり国を成り立たせることにおいては、それが必要な部分はあります。では釜山はどういう都市かというところで、私は釜山を繋がりの都市と個人的に思っています。それはただ人と人が会うっていうだけではなくて、その文化と文化を繋げるなど、何かいろんなものを繋げるっていう意味合いがあります。もともと釜山の少し南に南浦洞っていうところがあって、釜山タワーがあるんですけどね。そこを中心に、昔、1678年から1876年まで草梁倭館(チョリャンウェガン)っていって、広さ約10万ヘクタール、壁でずっと一周囲まれた、200年間日本人が500人住んでいた土地があったんです。歴史はあんまり紐解いていなくて、あんまり知られていないんですよ。

 

ーー私も初めて聞きました。

韓国の方もあんまり知らないですね。対馬藩の人がだいたい3年から4年の任期という形で入れ代わり立ち代わりこの釜山に住んでいた。その時にもそこの龍頭山公園っていう場所に神社があったし、その周りは全部日本人の家とか日本人の町で形成されていたんですよ。そこでは何をしていたかというと、朝鮮の品物を日本に貿易する上でどれくらい流通させるかだとか、または朝鮮通信使っていうのがその間に12回あったんですけど、その舟を準備する中継地点としてその場は使われていて、そこには日本風の文化が存在していました。 龍頭山公園というのが、釜を逆にしたような山であることから釜山の地名はそこから来ています。日本からも韓国からも平和な時代が200年、その人と人をつなぐこの土地がそこにあったんです。

 

ーーつながりの街と言っても過言では無いんですね。

そうなんですよ。だから本当に日本人とかかわりが深い土地であって、私たちもいろいろ活動して、去年か一昨年にそのことを初めて知ったんですよね。調べてみるとそんなことが出てきて。

 

ーーそれこそ釜山の魅力を再発見ということですね。

そんなことがあったんだっていうところが、自分の中でぼんやりと、自分が釜山のために何をしようかなと模索していた中でその草梁倭館を知って、人と人が、文化と文化が繋がるところ、出会いの街、そういう意味合いが釜山にあるんではないかっていうのが、今すごく自分の中で、確信ではないけど感じていて、何かこれからの活動の指針にしていきたいなと思っています。だからできるだけ人と人が動ける、その横の動きの流れを作るみたいなところは私の中ですごく興味を持っています。

 

ーーでは活動を始めた頃は明確な方向性はなく、やりながら模索していった中で最近ヒントが見つかったということですかね。

そうですね。最初は本当に釜山で仕事をやり始めて、仕事ばかりじゃつまらないから、その週末に何か人のためというか、何か子供たちのできるためにできないかなっていうところから、ぷさんさらんを作って。ボランティアをしたい人を集めて活動していたけれども、それをやってるビジョンというか、そういうものはその時にはまだ確立していなくて。いろんなことを経験して、いろんな出会いがあって、いろんなことを教えてもらって、自分の中で確信めいたものが出来上がったのが去年一昨年だから、言い換えればこのコロナ禍の中に結構明確化できたのです。

 

ーー分かりました。 すごく興味深かったです。 次は昆さん自身についてお聞きしたいんですけども、昆さんの生まれはどちらですか?

生まれは横浜です。

 

ーー横浜なんですね。昆さん自身は韓国に血縁的なゆかりはありますか?

全くないです(笑)

 

ーー横浜時代、どのような幼少期を過ごしておられましたか?

幼少期は本当に目立たず、何ていうんでしょうかね。自分のやることよりも、他人のやることが中心で、自分がこうやりたいということより、他人がこうやりたいっていうことを優先してしまうような子どもでした。そのほうが楽しかったというか、自分にスポットライトが当たるっていうのがあまり好きではないって子どもで。引っ込み思案っていうのもあったんですが、自分自身が前に出てっていうのはあまり考えてなくて。 だからできるだけ一人でとか、本当に親しい二人でとか、そういう小さな枠での人との付き合いをずっと作っていた幼少期でした。今でも繋がっている小中学校の友達がいないくらいなので、人のつながりに対してあんまり興味がない部分があったのかなあ。

 

ーー僕の今の昆さんに対して抱いている印象からすると結構イメージと真逆と言いますか、少し意外です。子どもの頃の夢などはありましたか?

小さい頃から海の下のトンネルであったり、海の上の橋であったりというのが好きだったので、その海のトンネルもしくは橋の土木建築の監督というか当事者になるのが夢でした。

 

ーー大学では何を勉強されていましたか? 

大学は東海大学の海洋学部というところで、海沿いの都市計画をメインにして研究をしてましたね。一応それで大学院修士まで行って、一度土木の会社に就職したんですけど、土木の現場を6年間ぐらいやってきた時に、韓国のその土木建築いうものと、日本の土木建築の差というものを研究してみないかという話をいただいて。韓国とはこの話をいただいた時からの縁ですかね。

 

ーーその時に初めて昆さんの人生の中に韓国との接点ができたわけですね。日本のその海沿いの町と韓国の海沿いの町の比較とのことですけど、その頃は韓国の方が日本よりも進んでいたのですか?

いや、むしろ韓国の方が全然進んでない状態でしたね。だから今だいたい土木建築に関わっている韓国人の教授はほとんど日本で留学をして韓国に戻ってきて研究をしてるっていうぐらい、韓国人が書いた土木建築に関する文献が当時は少なく、今でも比較的少ないですね。ゼネコンの発達にしても日本はものすごい強い部分があります。

 

ーー日本は海に囲まれてる島国であるのも理由の一つですかね。

あると思います。ここから少し行くともう埋め立て地で、先ほど多分、旧・百済病院を見に行ったと思うのですけど(宿泊地から取材会場まで徒歩で向かう途中に立ち寄った建物で、現在は約100年前の建物の姿を生かした若者に人気のお洒落なカフェとなっています)、その辺りまで実は埋め立て地なんですよね。元々はもう海が来ている状態。そこを埋めたのは、日本の会社なんですよね。

釜山港近くのカフェ。日本統治時代の建物らしい。

 

ーーええ!そうなんですか。

日本のゼネコンといわれる会社たちがほぼこの辺りの埋め立てをやったので、埋め立て完了した時には、日本のその建設会社の名前がついてるぐらいでした。今はもう名前は変わりましたけど。

 

ーーその点でもやはり釜山は日本との関わりが強いのですね。昆さんの話に戻したいと思います。韓国に昆さん自身が来られたのはいつですか?

韓国に来たのは、今から18年前の2005年です。始めから釜山にいたわけではなく、結構いろいろ転々としてまして。初めは順天(スンチョン)という場所に6ヶ月ぐらいいて、次に天安(チョアン)というところに1年、そしてソウルに2年ぐらいいたのちに、釜山に来ました。

 

ーーなるほど。それぞれ韓国で言うとどの辺りですか?

 初めの順天は、一番南の真ん中ぐらいでしょうか?釜山から行くと、海沿いに西に進んだ辺りですね。少し内陸ですけど。 次に天安はソウルの少し南ですかね。

ーーでは始めは北上する形で都市を移動していったんですね。なぜその後、釜山に来られたのですか?

それはですね。この釜山に韓国海洋大学という海洋を専門にした大学があって、そこで当初の目的である韓国と日本の海沿いの町を研究する為に釜山に戻ってきました。その大学院を受ける前に、慶煕大学という大学の語学堂で1年間韓国語を学んだのがソウルにいた理由ですね。

 

ーーではいろんな韓国の様々な都市に住んでおられたということで、住んでみて分かる町ごとの違いだとかはありましたか? 

やっぱりソウルはその時から情報と人と文化の集合体だと思うので、何かを調べよう、何かに会おう、何か動こうって時に、やっぱりリアクションが早い。順天とか天安とかはソウルと比べるとやはり田舎なので、例えばビジネスをやりたいっていったときに、そのための人を集めようとしても該当する人々とやっぱり距離がある。またはその該当する人の個体数が少ないっていう部分もある。やはりその点、ソウルはそこに人が集合しているので、これが知りたいんだけどって時に、あの人がいるよって言うその距離感と、やっぱり個体数の多さっていうのは断然違ったので。だからソウルにいた時はものすごく生活しやすいというか。釜山はソウルより日本人は少ないイメージだったし、やはりネットワークが発達したソウルの方が私としては動きやすかったので、ソウルでの暮らしに慣れた後に、海洋を研究するために釜山に行かねばならないって時、釜山はなあ…って最初は正直思ったっていうか(笑)しかし釜山に来てからは、そのネットワークを自分で作るっていう事に、少し目覚めてしまった部分があります。

 

ーーなるほど。既存のネットワークにあやかるのではなく、無いネットワークを自ら作り上げていく。しかもそれは釜山の在韓日本人同士のコミュニティに留まらず、釜山にいる韓国人とのつながりにも結構重点を置いていますよね。

そうですね。 日本人だけで集まってしまうと、やはり意味がないですよね。むしろ壁を作っていることになり、韓国の方とも交流しないといけない。だからうちのYouTubeの動画も、結局日本語と韓国語、両方の字幕がつくようになりましたね。字幕は電車に乗車中などの音を出せない状態でも動画が見れる点で役立つだけでなく、例えば韓国語を勉強する人にとって、今話してる日本語はこういう韓国語になるんだよだとか、そういう言語学習上の意味合いもあるんです。両方の字幕をつけるのは、時間も手間もすごくかかるんですけど、今はこの形式でやらせてもらってます。

 

ーーなるほど。そういうメリットもあるんですね。目から鱗でした。 先ほど、人と情報が集まるソウルとその他の町の違いを聞きましたが、そのネットワーク以外の、そこに住む人の気質や土地柄と違いというものは感じましたか?

ソウルのような都会はやっぱり、東京も一緒ですけど、隣に誰が住んでるか分からないほど人の繋がりが希薄っていうのがやっぱりありますね。 一方、釜山は外国人とか日本人が自分の母国語を話してても、地元のおばあちゃんとかが話しかけにくるんですよ。 距離感が近くて、なおかつ主観ですけど釜山に観光してくる人のうち、前回釜山に訪れた時に知り合った方、仲良くなった食堂の店主さんだったりとか、そういう方に再び会いに来ましたみたいな人が多いように感じられて、繋がるというか友達になれる確率が高いと思います。

 

ーー確かに僕は関西から上京してきてもうすぐ2年になるのですが、マンション隣の人の顔も知らないですね。釜山の方がすごく気さくに話しかけてくれることは、(取材時点で)まだ釜山に来て2日目ですが既に感じつつあります。第二の都市である点や、方言がある点でも、釜山は日本での大阪に似ているのでしょうか?

町の雰囲気は大阪に似てるかなって思うんだけど、それぞれの人を見ると福岡にちょっと似てる感じが私はします。釜山の人って話し方も少し荒いから普通になんか話していると喧嘩してるように見えることがある。

ーー今日、宝水洞の古本屋通りを歩いていたのですが、結構気軽に店のおじいちゃんが話しかけてくれて。僕が韓国語の勉強が足りていなくて、最初何か怒られてるのかなって勘違いしたんですけど、実際はお店の中に入ってきて見ていいよ、ってことだったらしくて。こちらがほぼ韓国語を理解できないのをお構いなしにずっと話しかけてくれるのは、最初こそ少し尻込みしてしまいますが、温かみを感じました。

いや、本当に。ソウルの男性と比べて、亭主関白だとよく聞くからそういう部分も似ているかもしれない。福岡に結構一ヶ月に一回ほど行くんですけど、やっぱり似てるなあと思いますね。

 

ーー距離的にも心理的にも釜山と福岡は近いんですね。韓国国内の気質の違いを聞いてきたんですけど、では韓国の大学生と日本の大学生とのイメージの違いってありますか?

日本の大学生の悪い部分かもしれないけれど、何かの代表を決めたりするときにハイって手を上げるといった、自分の価値の売り方っていうのがなかなか韓国の学生に及ばないですね。私が何かクリスマス会のイベントをしようとした時に、大学生が十人ぐらい集まってくれたんだけど、初めて会った日に韓国人学生10人の中のリーダーを決めてって言うと二人が僕がやりますとスッと手を上げて。どうやって決めようか?って話をしたら、じゃあ1分間なぜ自分がリーダーをやりたいかという事のスピーチ大会をこれからやって多数決の投票で決めていこうみたいな感じになって。僕がこのリーダーに適しているのは〜〜の理由で、ってまだイベントの内容も全然知らないのに(笑) やっぱりこの自分の主張とか、自分の価値性をどのように売るかはすごい上手い。日本の学生では中々できないなあってのはすごく感じました。 

 

ーー僕もどちらかといえば引っ込み思案なところがあるので、では積極性を身につけるためにはどうすればいいか、今の日本の学生に伝えたいことはありますか?

挑戦の気持ちが大事ですね。では挑戦の気持ちをどうやって作りますかっていうと、これはまた長い話になるのですけど、一言でいえば、挑戦する環境を自分でちゃんと作るっていうことを忘れないことですかね。だから私もできるだけ誰もやったことないことをやりたくて、ビアガーデンもそうですよね。多分、誰もそのホテルの屋上を使ってビアガーデンをやろうと思った人もいなければ、この方法で日韓交流をやろうとした人もいない中で、みんな応援してくれて、協力してくれるっていう人達がいる、やはりそういう挑戦の環境があるっていうのはやっぱり重要です。私はコンビニ理論と呼んでいるものを感じていて、昔は食物を得るのに山に入ったり稲も育てたりする必要があったけど、今はどんどん生活が豊かに楽になって、少し歩けばコンビニがあり生活に必要なものは大体買える。そういう便利さが少し人間の怠惰性を助長しているというか、悪いことではないけれども、一方で不便さの中での抵抗力だったり、それを打開する創造力を養う機会が失われてしまうのではないか。小さい頃に何もない公園で遊ぶ時に10人ぐらい集まって、じゃあ大きな円を書いてこれを使ってこう遊ぼうみたいな創造性ですね。今遊ばれているゲームはゲームの中でAなのかBなのか選択して…という予め枠が決められているもの。その枠の外の部分をやることで、何か育てていけるのではないかなというのは、若干感じています。

 

ーーなるほど。確かに一理あると思います。では昆さんが釜山に来て研究やビジネスをやられる時に、釜山はソウルと比べて既存のネットワークやコミュニティが充実してない中で、いかにコミュニティやつながりを作っていくかという壁が存在したからこそ、今のぷさんさらんがあるということですね。

そうですね。これがある意味すごく有難かった部分で、これがあったからこそ自分の色んな道を見つけられた。日韓の見えない壁を壊したいだとか、子どもたちに何かできないかなとか、そういう発見をもたらしたのは、釜山のソウルから離れた環境性だというのはすごくあります。 

 

ーー貴重なお話ありがとうございました。 

インタビュアーの張と。話が弾んだインタビューでした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

社団法人 ぷさんさらん ホームページ

 http://busansaran.com

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

文責:張秀一

大場莞爾