2023年の夏合宿では、東京都檜原村で地域おこし協力隊を務めている斉藤さんにインタビューを行いました。前編に引き続き、斉藤さんのライフヒストリーに迫っていきたいと思います。
ーー休日とかってどういうことされるんですか?
そうですね。近場をちょっと散歩するとか、外に買い物に行ったりとか。あとは実家が練馬区に近いので、ちょくちょく顔見せに帰ったりとかっていうのはします。去年までコロナで地域のお祭りがほとんど中止だったんですけど、今年ようやく再開されて、この9月は毎週どこかしらで、地区のお祭りをやってるみたいな感じでしたね。
ーー 先ほど自然が好きとおっしゃっていましたが、今でもどこか他の地域に旅行だったり、日帰りで行かれたりしますか?
ありますね。 檜原村に来る前に、全国で移住体験ツアーみたいなのに参加したことがあって、その土地ごとでそこの環境を生かした取り組みっていうのをされていて、その良さを体感しました。それで最終的に檜原村に落ち着いたっていうのはあるんですけど。今でも旅行であちこち行ったりして、いいなって思うことはあるんですけど、これが檜原村だったらどうかな、っていう視点を持って回ることが多いような気がします。
ーーそれは例えばどのような時ですか?
例えば少し前に、高知県に行って環境にいろいろ取り組みをやってるみたいな地域を視察する機会があったんですけど、その中の1つに昆虫観察をする親子向けのプログラムがありました。よくライトに虫が集まるライトトラップっていうのもありますけど、そこではバナナを仕掛けるバナナトラップというものを行っていて、カブトムシを観察するようなプログラムだったんですよね。で、同じことを檜原村でやった時に、昆虫が来ることもあるけど、先に猿とか猪とかが先に来ちゃうんじゃないかだとかを考えて、同じことを真似して檜原でやるんじゃなくて、檜原でやるとしたら、どうアレンジというか工夫をしてできるかなっていう視点を持つようにしています。
ーーでは協力隊の活動でも、斉藤さんご自身やその他のメンバーの方々で自ら何かを企画したりすることがありますか。
そうですね。村全体のお祭りとか活動とかで、そこで一緒に活動したりすることもありますし、自分たちでこんなことやってみたいと提案させてもらってやったりと、2つの面がありますね。
逆に皆さん檜原村に来たこととかありますか?おそらく今回が初めての方がほとんどですよね。
ーーあきる野市の五日市など、 結構近くには来たことはありますね。 あとは御岳山に行ったりもよくしていて、 家族がこの辺に住んだことがあったので。
そうなんですか。
ーーはい、しかし檜原村に来るのは初めてですかね。 ちょうどさっき何人かで、払沢の滝の方に行きましたが、結構外国の方も多かったです。
そうでしたか!
ーーその外国の方に、「払沢の滝のことをどうやって見つけたんですか?」みたいなことを聞いてみたら、SNSで見つけたんだ!と答えていました。TikTokとかInstagramとかで、 払沢の滝の投稿が流れてきて、行ってみたいと思ったそうです。そういったSNSなどを用いた情報発信を地域おこし協力隊の人が率先して行ったりはしますか?
SNSもやってはいますけど、外国の方をターゲットにするところまでは狙っていないかもしれないですね。
ーーあと滝のあたりを歩いていて印象的だったのが、結構案内の看板とかがすごい古いのとすごい新しいものの2通りだなと思ったんです。なので、かつて過去に看板などを整備して観光業に力を入れていた時期があったのが、また最近盛り返してるのかなみたいなふうに思ったんですけど、そういう傾向はあると感じますか?
かもしれないですね。ハイキングコースに道標が立ってたりするんですけど、そういうのも、比較的最近に立てたものから、もうなんて書いてあるのか分からないようなのもあったりするので、それが手が回らなくてできていないのか、それとも、最近観光に力を入れ始めたから新しくなってきたのか、それがどちらかっていうのははっきりと分からないですけれど、今おっしゃった古いのと新しいのとが混在してるっていうのは聞いていてなるほどなと思いました。
ーーやはりこの辺りは都心に結構近い中ではかなり自然が豊かな場所で、 都心に住んでる人や、東京に留学しに来た外国人留学生など、そういう人たちにとっては来やすいところですよね。かといって、やはりしっかり宣伝をしないと、東京にこんな村があるっていうのは分からないですよね。そうするとどうしても富士山だったり箱根だったりに行こうとなってしまい、手前に檜原村という場所があるのにそれを知らないっていうケースが多いのかなと思ったりしました。さっきの話だと、こちら側から働きかけないで、たまたまSNSで誰かの宣伝が勝手に流れて人が来るというケースもありますし、それで上手くいっているならいいかもしれないとは思うんですけど、でもある程度こちら側から積極的に働きかけたりしているのかという点についてお聞きしたいです。
おもちゃ美術館もその一環ではありますが、木材など檜原村の資源としていろんな資源を活用しつつ、観光を振興していこうっていう動きがあります。その一方で箱根や高尾のように、観光を受け入れるキャパがまだないんですね。単純に駐車場の面だったりだとか、飲食店だったりだとかですね。観光を外に発信していくのと同時に中の整備もして行かなければならず、まだ課題がありますね。
ーーとりあえずは子育て世代を呼び込むことでまずは内側の土台をある程度大きくしてから、次の段階で観光に力を入れるという流れですかね。
そうですね。高齢化による人口減少っていう要因とは別に、単純に働き口がないから外に人が出ちゃうっていう側面もあったりするんですよね。なので、しっかりと村の中で生活していける産業というか、働き口っていうのも確保することによって、外に流出していく人員を減らしつつ、そういうのを整えていく中で、合わせて外に発信したりだとか、そういう方も強化していく必要がありますね。
ーー確かに外側に宣伝して人が来たのはいいものの、内側の人々がそれで疲れ果てちゃってたら、本末転倒ですよね。
地域的にはもちろん観光でたくさんの人に来てほしいっていう面もあります。しかしこれは少し個人的な考えなんですが、数として多くの人が来ることっていうのもいいんですが、1回だけ来て「あ〜檜原村楽しかった。今度は別のところに行こう」っていうよりかは、そのうちの一部の人が「檜原村よかったね。また行きたいね」っていうような形で定期的に繰り返し足を運んでもらえる方が良いかな。これを関係人口っていうんでしょうか。そうやって地域と持続的に繋がってくれる人たちを増やしていけたらいいなっていうのは思っています。
自分自身、最初は自然好きだったのが村に来たきっかけでしたけど、檜原村に来てるうちにここの人々と繋がるのを経験して今檜原村にきているので。自然と人とをつなげるっていうのももちろんですけど、その活動を通して人と人とを繋いだり、何かそういうことはしていきたいなって思います。
ーーやはり 都会で暮らしていたりすると、人と人の深いつながりっていうのはなかなかできないですね。檜原村のような人と人との繋がりは人が少ないからこその特色でもあると思います。
そうですよね。人数が少ないからつながりが強いというか、繋がらないと生活していけないっていう側面もあるかもしれないですね。7,8年ぐらい前ですが、台風19号だとかあった時もあちこちで土砂崩れとかがあったりして、一時孤立してしまったとか聞くんですけど、その時に、あそこの家は高齢者がいるからだとか、気にかけて一緒に避難したりだとか、地域の消防団と一緒に避難してだとか。他にも大雪が降った時は雪かきしてたとか、みんなでみんなの生活を支えていく、そういう関係性が人口が少ないところの魅力でもあるのかなと思っています。
ーー先ほどの関係人口を増やしたいという考えは、すごいいいなと僕も思ったのですが、それを実際に実現するにあたって、取り組んでいることは何かありますか?
これから「お試し移住」みたいな事ができる建物を作ろうかなっていうような案が出てきたりしています。
ーーこれは空き家とかを改装してみてという感じですか?
今、村の方で計画しているのは空き家があった土地を村が買って、そこに建物を建てて活用していこうかっていうもので。そういった箱とは他に人間とプログラムが必要になってくるだろうなと思うんですけど。人やプログラムを探している時こそ、私たちみたいな移住者が力を発揮していく場面になるんだろうなと思うので。関係人口をこれから増やしていくっていうふうに考えると、もちろんずっと村で生まれ育ってきた方も素晴らしくて、色々と学ばせてもらっているので、そこにつないでいく時もそこが大切になってきます。そこに働きかけられるようなことをこれからしていきたいなと思います。
ーーちなみに、今の斉藤さんのお住まいって元々空き家だった場所だったりとかするんですか?
そうですね。借りる前は空き家になっていて、以前住んでた方が外に出たりだとか、亡くなったりだとかっていうので、空き家になっているところを任期の3年間村から借りてるような形になるので、3年後また住まいとか各自で探していくような。
ーー檜原村ならではの慣習だったり、イベントとか、お祭りとか、あと、食べ物とか特産品とかってあったりしますか?
食べ物というとジャガイモとかこんにゃくだとかが特産になっていて、檜原村のキャラクターが「ひのじゃがくん」って言って、ジャガイモがモチーフになってるんです。
ーー確かに昔、この辺にジャガイモ掘りに来たことがあるんですけど。ずっと五日市だと思ってたんですけど、檜原村だったかもしれません。
そうですか。ジャガイモは斜面でも育つので、前々からいろんな人が育ててるっていう。ジャガイモを使った焼酎とかも作ってるんですけど、以前は檜原で採れたジャガイモを外で焼酎にしてもらって、また村に戻してって感じだったんですけど、一昨年村内で焼酎を作れるようにしようっていうことで、焼酎工場(檜原ファクトリー)ができたんです。
ーーお祭りとか、なんか伝統的な風習とかってあったりするんですか?
まだコロナが始まってから私が来たので、経験はしてないんですけど、3月の頭に「御とう神事」って言って、3月の頭だからまだ雪が降ることまでぐらい寒い時なんですけど、男性がふんどし一丁で川の中に入って、身を清めて、石で火打ちして、火をつけて、ご飯を炊くっていうお祭りがあるんですよね。それが450年ぐらい続いてるらしいんです。
今、檜原でお米を作っているのは小さい規模で一か所だけあるにはあるんですけど、こういう山に近い地域なので、平地が少ないんですよね。なので、お米っていうのは昔から貴重なもので、お祭りや冠婚葬祭ぐらいしか食べられなかったっていう話を聞くんですよね。だからこそ、今よりも昔はお米とかご飯に対する思いっていうのが強くて、こういうお祭りを続いてきたんだろうなって思うんですけど、その頃っていうのはやっぱり芋だとか、麦だとかっていうのは主食になってたらしいんですよね。
今もそのお祭りはやってはいるけど、ふんどし一丁で川に入ってざわざわする人手が少なくて困ってるらしいんです。今は村内だけじゃなくて、外にも募集をかけて、外から来てる人もいるらしいって話を聞くんですけど。昔はもうちょっと沢山人がいたっていうのは、そういう頃の生活面も背景にあるんだろうなと感じました。
比較的最近というと、払沢の滝で夏にお祭りがあるんですけど、冬にもお祭りをやってて。冬は寒くなるので、払沢の滝が凍るんですよね。それを魅力として発信していこうっていう、村全体よりこの辺りの飲食店が募ってやってるお祭りではあるんですけど、そういう冬ならではの魅力を生かしてやっていこうっていうのはここ20年ちょっとぐらいで始まったものですね。
ーー斉藤さんには自然以外の趣味とかありますか?
自転車とかは結構好きなんです。大学の卒業旅行として友達と四国をぐるっと行ったりとかしました。村内を自転車で回ったりとかもありますけど、檜原に来てから車に乗る機会がとても多くなってしまって、運動不足は否めないかなって感じですね。檜原来るまでは全く車に乗らない生活をしていたので、どこかに行くには電車に乗ったり、歩いたり、自転車に乗ったりっていうのが多かったんですけど、最近ちょっと車に頼っちゃってます。
ーー 他の人も車ですか?
ほとんど車の人が多いですね。
ーー高齢者が免許を返納したりとかって話もある中で、そしたら移動の手段の足がなくなるんです。バスの時間を見たら、1時間に数本とかで。結構難しい課題だと思うんですけど。
そうですね。駅からここまでの西東京バスもあるんですけど、本数が少なかったりとか。あと、村の中でデマンドバスっていう、呼んだら来たりとか時間ごとに回ってたりするのもあるんです。路線バスでは入れない奥の方まで走って、高齢者の足として活用されたりするのもありますね。ただ、十分移動手段が確保できてるとまでは言えないので、その辺りは課題になってると思いますね。
ーー檜原村は斉藤さんにとってどんな意味があるのか、どういった存在ですか?
任期が3年間なので、3年で知ることとかつながることっていうのはやっぱり限られるので、これからも色々と探求していきたいなっていうものなんですけど、電車が通ってなかった話もさせてもらったように、いろいろ磨いたり手を入れてくと、まだいろんなことが見つかりそうだなっていうエリアな気がしていますね。
完成されて、光り輝いているところに自分が行くっていうよりかは、まだ磨き途中みんなが綺麗になるように磨いてるところに、私自身も入って、一緒に作業をしている、その中で人とつながって、自然とつながって、新しいことを始めたり、そんな存在な気がします。
ーー3年後の姿や、やりたいこととかって今なにかあったりされますか?
元々自然と人とをつなぐようなことには興味があるんですけど、任期後いきなり独立してっていうのもちょっとハードルがあるかなっていうふうには感じていて、檜原を知るきっかけにもなった東京裏山ベースっていうところだとか、NPOの里山学校東京っていうところにも今も関わらせていただいているので、任期後も引き続き関わらせていただきつつ、自分自身でも企画したりだとか、ワークショップイベントみたいなのも展開していきたいなっていう考えています。
ーーそのイベントとかワークショップってどんなことをやるんですか?
檜原村に来て興味を持つようになったものの中に、竹があります。昔から檜原の役場だとか数箇所に門松を作って置くおじいちゃんがいて、作り方を教えてもらいながら一緒に作っているうちにハマってきちゃったんです。昔は物干し竿やら、籠やら、いろんな生活のいろんな部分で竹が使われていたんですよね。それが高度経済成長期を迎えて、安くて大量生産できるプラスチックとかに素材が入れ替わってしまい、今あまり見かけなくなりつつあるんですけど。SDGsだとか、持続可能だとか、脱プラとかっていう中で、竹が持ってる良さとか、魅力っていうのを再認識していくようなことをしてみたいなと今考えています。
ーーでは最後に、檜原村にこうなってほしいとか、こんな村にしていきたいとかってありますか?
これまで以上に、いろんな人たちが混ざり合っていくだろうなっていうのはありますね。 子供も大人も、高齢者も、外国の方も。いろんな人が混ざっていく中で、相手を否定したり排除したりするんじゃなくて、やりたいことは違うにしても思いの共有する部分っていうようなものは、大切にしていきたいなと思っていて。私自身が移住者っていうような立場と、地域おこし協力会っていうものを経験してきたっていう立場もあるのですが、いろんな人たちのつなぎ役っていうか、それは任期を終えた後もそういう立場であり続けたいなと思っています。
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