東京の「村」をにぎやかに-檜原・斉藤さん(前編)

人を知る

檜原村は、東京都の中で島嶼部を除いた唯一の「村」であり、都心から約50キロほど西に離れたところに位置する自然豊かな村です。檜原村の面積は東京都の中で奥多摩と八王子に続いて3番目の広さですが、人口は2000人ほどであり、ピーク時の7000人と比較すると1/3以下に減少しています。この人口は島嶼部を除いた東京都の自治体の中で最も少なく、島嶼部の村を含めた場合でも小笠原村、新島村、三宅村よりも少ないです。また少子高齢化の問題も深刻であり、いわゆる限界自治体(65歳以上が人口比の50%以上を占める自治体を指し、2020年の国勢調査では全国で60市町村あるとされる)の一つです。

東京の西、関東山地にある檜原村。

今回はその檜原村で地域おこし協力隊として活動されている斉藤さんに、檜原村と斉藤さん自身、そして両者の関わりについて取材させていただきました。

*地域おこし協力隊とは…都市地域から過疎地域等の条件不利地域に住民票を異動し、地域ブランドや地場産品の開発・販売・PR等の地域おこし支援や、農林水産業への従事、住民支援などの「地域協力活動」を行いながら、その地域への定住・定着を図る取組です。隊員は各自治体の委嘱を受け、任期はおおむね1年から3年です。(総務省HPより引用)

地域おこし協力隊の斉藤さん。笑顔が素敵だ。

ーー本日はよろしくお願いします。改めて、斎藤さんご自身がなぜ今ここ檜原村に住まわれているのかお話しいただけますか?

私は地域おこし協力隊として、一昨年の4月に着任し、現在ここで暮らしています。
もともと東京の練馬区の出身で、東京生まれ東京育ちなんですけど、自然が好きで、着任前からちょこちょこ遊びに来ていて、自然がいいなとか、来た時に繋がった人がいいなっていうのがきっかけになりました。

ーーなるほど。ちなみに遊びに来て、そういう方のつながりを持ったのはいつ頃なんですか?

5年ぐらい前ですかね。まだコロナ禍の前です。今年で36になるんですが、ちょうど30前後くらいの時に、遊びに来たのがきっかけになりました。

ーーどういった部分でその人がいいなと感じましたか?
そうですね。遊びに来た時に、つながれるその土地の人とのはごくごく一部ではあるんですけど、村の歴史を大切にしつつ、その新しい取り組みを始めようと考えている方、そういった考えを持っている方2,3人とつながることができたんですね。遊びに来た時とか、そういう時に話を聞いたりだとかして、何だか面白そうだなとか、こういう生き方素敵だなと感じ、徐々に思いが募っていきました。

ーー初めてこの村を知ったきっかけは何ですか?
そうですね。五日市の駅前に、東京裏山ベースという、レンタサイクルや自然を使ったツアーとかを実施している場所があるんですが、大学の同期がそこでヨガを行うイベントを開いた時があったんです。最初はその裏山ベースのことも知らず、大学の同期に誘われて参加したのですが、徐々にその裏山ベースに惹かれ、檜原村に惹かれました。幼少期の頃から両親とかにキャンプに連れてもらったりとか、そういう子供の頃の経験っていうのが頭の片隅にあって、自然の中で生活したいなとかっていう思いがあったのだと思います。

ーー実際に檜原村での活動を決意されたのはどういった経緯ですか?
ちょうどコロナがきっかけの一つでもあります。前職で知的障害の特別支援学校に勤めてたのですが、コロナの初期の頃に学校も臨時休校になり、自分自身が本当にやりたいことって何だろうと自分を見つめ直す機会がありました。将来を考えていく中で、何かにチャレンジするなら今のタイミングだと思い立ち、前職を退職し檜原村に来たという経緯です。

ーー最初に来た時は村は知っている人はほぼいない状態ですよね?

協力隊のOBだとか、ちょっと遊びにき出た時につながってた方とかっていうのはいたので、その面では苦労は少なかったかな。

私が着任した時が7年目だったので、村の人もおおよそ「地域おこし協力隊ってなんとなくこういうことをしている、こういう人らしい」っていうのを認知されていました。初期の頃は「地域おこし協力隊、何それ?」みたいな感じで、村役場の人も制度を導入はしてはいるけど、運用の方法があまりわからず苦労したっていう話も聞くのですが。私が来た時は、比較的その辺を双方ある程度理解していたので、受け入れてもらうのはスムーズでした。

ーー来る前から地域おこしみたいなものに全体的には興味があったんですか?

興味はありました。自分自身も地域の一員としてつながりを作ったりとか、そういうことをしてみたいなっていうのに漠然と興味はありましたね。

ーー 東京都内でも自然豊かな場所は他にあると思うのですが、特に檜原村でいいなって感じる部分とかありますか?
自然が豊かなところっていうのは全国いろんなところにあるんですけど、先ほど言った繋がった人の魅力が1つのきっかけでもあります。また東京の同じように自然が豊かな地域として、奥多摩とかが分かりやすいかなと思うんですけど、奥多摩は電車が通ってたりだとか、奥多摩湖があったりでそれなりに観光地であったり、いろいろ産業が栄えている印象があります。一方で、檜原村は電車がなかったりとか、その良くも悪くも手つかずの部分があるなっていうふうに感じていて、それは1つの可能性かなっていうふうに感じたのもきっかけだと思います。

ーー斉藤さんの今までの暮らしについて伺いたいのですが、特別支援学校で就職しようと思ったきっかけとかはありますか?
そうですね。なんとなく学校の先生になりたい気持ちはあって、最初は中学校か高校の先生をイメージしていたんですけど、教員免許を取るにあたって、特別支援学校や高齢者施設で実習する機会があるんですよね。自分自身が実習を経験した時に、普通の中学校とか高校で30人40人の生徒を相手にするよりも、特別支援学校みたいなところで少ない人数の中で1人1人と時間をかけて関わっていく方が自分に向いているなとか、そういう関わり方をしたいなというところから特別支援学校を志すようになりました。

ーー実際に働かれたのは何年ですか?

7年ですね。大学4年の時の採用試験が叶わず、そのまま大学院に行きながら、小学校の支援学級に関わる時期があったので、学校の現場にいた年数としては10年ぐらいになるんですけど、正規の教員として勤務したのは7年ですね。

ーー大学院ではどういう研究をされていましたか?

大学院では、今も関わっている視覚障害者のゴールボールっていう競技があるんですけど、その競技の研究ですね。研究なんて大それたものではないんですけど、2012年にロンドンのパラリンピックの時に日本の女子チームが、ゴールボールで金メダルをとったんですよね。それがきっかけでニュースに取り上げられたりして、ゴールボールを認知される方が少しずつ増えてきたんですけど、それまではゴールボールと言っても、「え、何?ゴルフボール?」って聞かされるぐらい、まだまだ認知が低いような段階でした。

ーー現在、地域おこし協力隊ではどういう活動をされてるんですか?

協力隊はもともと国の総務省の制度になるんですけれど、導入してる自治体によって活動のスタイルが様々です。結構多くあるのが、担当とかミッションとかが決まっていて、着任すると任務が決まってるパターンが多いんですけど、檜原村はあまり厳密に任務などが決まっていないです。私は移住とか空き家とかの担当ではあるんですけど、それだけではなく、村内のあちこちを訪問させてもらって、広く活動しています。

例えばで言うと、廃校になった建物を使って昔の生活とか、食文化とかっていうのを伝承していこうっていう取り組みをしているNPOがあって、そこで関わって一緒にプログラムをさせてもらったりだとか、前職は特別支援学校なので、児童館とか障害を持った施設の方の福祉作業所に訪問して、一緒に活動したりとか。

それは良い面でもありつつ、地域おこし協力隊の任期が3年なので、広く浅くなんとなくで過ごしていると、それだけで終わってしまう可能性もあるので、普段から活動しつつ、3年後自分がやりたいことっていうのは何なんだろうっていうのを考えながら、過ごすのは心がけようにしてます。

ーー地域おこし協力隊をやっていて、やりがいを感じる部分は何ですか?
他の方が開催する親子イベントとかに参加させてもらうこともあるんですけど、自分自身が移住してきたっていう立場もあるので、檜原に遊びに来た親子が体験を通して楽しんでいる姿を見るとやっぱり嬉しいなっていうのは感じますね。

ーー 何か今の仕事をしててよかったなと思ったエピソードとかありますか?

そうですね。前職が学校現場だったっていうのもあって、檜原村の小学生などと関わった時に、人数とか規模が小さいので新しい刺激になりますね。そこでこれまでの自分自身の経験っていうのが、そこで何らかの形で発揮できたりとか貢献できたりした時に、楽しさとかやりがいっていう感じですかね。

ーー今でも学校や子供たちと関わったりする機会があるんですね。

児童館に来てる子どもたちと関わる機会もありますし、檜原村が東京の中央区と提携を組んだりして、定期的に親子が野外活動などで遊びに来たりするんですよね。その時にサポートで一緒に活動させてもらったりだとか、そういう形で子どもたちといろいろ活動したりっていう時に、これまでの経験も活かせているのかなと思います。

ーー お仕事はどれだけ忙しいですか?

単純な時間で言うと、割と定時で上がってるので ライフワークバランスはいいですね。

ーー逆に協力隊のメンバーとして活動してみて、これは想像と違ったとか、難しいなと思っていますか?
面と向かって言われることはもちろんないですが、やっぱり檜原で生まれ育った人と移住してきた人がいると、決して差別するわけされるわけではないですが、ちょっと「あ、移住者ね」みたいな見られ方をされがちというか、何だかそういう雰囲気はどこかしらちょっとあるかなって思います。

ーー 元々ここに住んでる方々が、外から人が入ってくることを好ましく思わないということはありますか?

まあ、好ましくないとは思っていないかもしれないけど、なんだろうな。やっぱり良くも悪くも人口が少ないので、人とのつながりっていうのが濃い地域なんですよね。だからこそ、変な人が来たら困るなっていう思いは持たれてる感じはします。

ーー村から他のところに行きたいなど、村から出ようと思う人はどれくらいいますか?

中学生や高校生とかは、そういった話をよく聞きます。都心と比べて何もないから早いうちに外に出たいとかっていう声は聞きますね。かつてそう思っていて、村外の高校や大学に通ってる人なんかは、高校で1回外に出たからこそ、改めて村の良さに気がついたとか、そういうふうに思う人もいたりしますね。

ーー1回大学とかで外に出ても戻ってくる人もいるんですか。

戻ってこない人の方が割合としては多いですけど、中には、戻ってくるような方もいらっしゃいますね。

ーー斎藤さんは今後もここに住み続ける予定ですか。

任期後も残りたいなとは思ってます。

ーー檜原村の 住みやすさって、どんな感じですか?

 まあ、一長一短な面はありますけど、住めば都というか。これが良いという人もいると思いますし、これがあんまりなっていう方もいると思うんです。さっき言ったように、人とのつながりが濃いので、以前外に洗濯物を干して買い物に出かけた時に、途中で雨に降られちゃって。「大変だ、急いで帰らなきゃ。」と帰った時に、お向かいのおじいちゃんが「雨降ってきたから、洗濯物を取り込んどいたぞ。」みたいなエピソードがあって。都心の方でこんなことがあれば窃盗だなんて話にもなるかもしれないですけど、私にとってはすごくありがたいなと思います。 それは私にとっても、居心地の良さを感じるような要素としてありますね。

ーー移住者の方はやはりまだ少数ですか?
そうですね、割合としてはやはりまだ少数です。これは個人的な感覚ではあるんですけど、やっぱり特に若い世代を中心に、移住の割合っていうのは高まっているだろうなっていうのはあるんで、これは今後も高まっていくんだろうなとは思いますね。村の世帯の情報をそこまで把握してるわけではないんですけど、小学生ぐらいだと体感半々ぐらいの感じですかね。移住者に若い子育て世代が多いのは間違いないですね。

ーー子育て世代が多い要因に檜原村の特徴とかは何か関係ありますか?

村営住宅で応募が多数あったりするのがポイントで、子育て世代だとか仕事がどうのとかいくつか項目があるらしいんです。あと檜原村は一学年に10人ぐらいしかいないんですよね。なので、中学の2年生で、希望者全員がオーストラリアに2週間ほど体験留学するといった、その他の地域ではちょっとできなさそうな制度があったりとかするので、そういった教育の取り組みに惹かれて、移住してきたなんていう話も聞きますね。

ーーそういう方たちの中に外国人はいますか?

はい、いらっしゃいますね。

ーー斉藤さんの 日々の生活ルーティンをお伺いしたいです。どういう1日を過ごされているかなど。

そうですね。決まったルーティンといったものはなく、どこに行って何をやるとかっていうのもある程度、自分自身でスケジュール組んだりとかっていうのができるんですよね。8時30分出勤の夕方17時15分退勤っていうのは決まってるんですが。あくまで一例ですけど、午前中にここから車で20分ぐらい行ったところの人里地区っていうところで、ナツハゼっていうちっちゃいブルーベリーみたいなものを摘んでジャムにしてるお爺ちゃんがいるんですけど、そこのお手伝いさせてもらうだとか。結構「お弁当を持ってきたぞ」なんていって、そこで一緒にお弁当をご馳走になっちゃってたりすることもあります。そんなことをして、午後こちらに戻ってきて、福祉センターっていうところでちょっと草刈りをやったりとか。

ーー何時に寝たり、どこでご飯を食べるなどといった点ではどうですか?

飲食店がそもそも少ないので、夕方どこかに寄り道してとか、外食してっていうのがなかなか難しいんですよね。 もともと自炊があまり苦ではないので、その点ではやっていくのは大丈夫なのですが。帰って何をするかについてなのですが、私は今テレビがないんです。コロナが始まったぐらいから旅行系のYouTubeにはまっちゃったりしてるんですけど。朝は6時ぐらいに起きて、お弁当とかおにぎりとか、持っていくことが多いですよね。

ーー檜原村の食材を使ったりとかあるんですか?

ありますね。結構「うちの畑で◯◯が採れたぞ。」とか言って、お裾分けをもらったりすることは多いですね。

ーー 採れた野菜を売ったりもしていますか?

それもあります。 ただ基本的に自分たちで消費して、あとはちょっとお裾分け程度でという形で畑をやってる方がほとんどで、農業を生業としている方はほとんどいないのが現状ですね。山あいの地域になるので、斜面に挟まれると日当たりが短かったりという面もあって。

ーーではここの方々はどういった仕事をしたりして、生計を立てているのでしょうか?

今は村内に住んでいながら、サラリーマンという形で外に働きに出ている方が結構多いですね。また2箇所高齢者施設があるので、その福祉だとか。あとは林業だとか、まあ観光業も1つかな。ずいぶん前だと、炭焼きとか養蚕とかっていうのも主な産業だったんですけど、そういったものはもう今ではあまりやっていないですね。

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前編では斉藤さんのライフヒストリーをたどりながら、檜原村での暮らしや地域おこし協力隊としての活動について伺いました!

後編ではこれらをさらにクローズアップし、斉藤さんが考える檜原村の今後の展望についてお伝えしたいと思います!

文責:張秀一

大場莞爾