池袋リトルウルムチ

人を知る

我々はある日、池袋のウイグル料理店で懇親会をすることになった。そこでは、スパイスの香り、飛び交う中国語に加え、ステージで歌う男性の姿があった。これも何かの縁だと考え、我々は彼にインタビューを申し込むことにしたところ、承諾いただいた。

彼の名は、アリーさん。出身はウルムチで、日本に来て九年になる。今35歳だ。アリーさんの故郷ウルムチは東京に似ているという。「銀座なんか行くとウルムチに少し似ている。高い建物がいっぱいあるから。一軒家は少なく、マンションが多いかな。僕の家は、6階建てのマンションだったかな。」とアリーさんは言う。

<アリーさんの過去:音楽との交わり>

まず、アリーさんのご家族のお話をお聞きした。
アリーさんのお父さんは、カシュガル(砂漠の西端に位置するオアシス都市で、中華人民共和国最西端の街。)で生まれ、12歳くらいで仕事を求め単身ウルムチへ、その後ウルムチ出身の妻(アリーさんのお母さん)と出会って結婚したそうだ。
アリーさんには、妹さんが一人いて、ウルムチで看護師をしている。

家族とやりとりは、頻繁にしてますか?
「ここに来る前にもお父さんとwechatしたりしてますよ。」

続いて、小さい頃から来日するまでの経緯をお聞きした。
「小中高校まではウルムチで過ごし、大学は北京の大学に進学しました。ウルムチでは授業自体はウイグル語で行われていましたが、小学3年生から中国語の科目ありましたね。
今は小学1年生から中国語を勉強しますよ。今の時代は、ウイグル語より中国語が得意な人もいます。」

なぜ北京の大学に進学したのですか?
「音楽アーティストがたくさんいるからですね。憧れのアーティストもいたし、もしかしたら会えるかもと思いました。中国語でコンピューターを学んで、授業終わったら独学で音楽を自分で勉強してました。」
「北京ではオール中国語、周り漢族ばかりですね。周囲にウイグル族はいなかったが、2時間くらいで行けるところにウイグル料理レストランがあって、そこのウイグル人オーナーと話しました。お店の中は、95%漢族でしたね。オーナーさんとは、一緒にご飯を食べたり、ギターを弾いたりしましたよ。」

大学卒業後は、どのようなお仕事をされていましたか?
「大学ではコンピューターの勉強をしましたけど、音楽も勉強です。
卒業後はウルムチに戻ってバーとかで歌う仕事しました。その後、日本に来ました。2015年に、再びウルムチ戻った時に憧れの歌手アルキンさん(カシュガル出身)と会って、友達になれましたよ。真夜中に電話きて、嬉しくて飛び起きました。」

我々がお店にお邪魔した時には、中国のポップソングに加え「なだそうそう」などの日本の楽曲も歌っていらっしゃいました。
普段はどのような曲を歌われるのですか?
「今、お店で歌ってる歌の中にも、アルキンさんの曲がありますよ。
日本のアーティストだと好きなのは木村拓哉とか、氷川きよしも好きですよ。氷川きよしのズンドコ節かな?かっこいいですね(笑)。演歌は若い人がクラシックな音楽を歌っているのがいいなと。」

幼少期から音楽を聴いていたのですか?
「そう。5歳から歌ってました。両親とも音楽好きで、母の叔父が歌とかダンスとかやってる。自分も少し踊ったり歌ったり。
子供の頃から音楽に触れる機会があって、テレビ見ながら母が歌い方を教えてくれたり、褒めてもらえたりして嬉しかったですよ。そこから、いろいろ勉強したいなと。10歳からギター。父がギターやっていて、家にもギターありましたよ。」

演歌を知ったのはいつですか?
「2010年にウルムチにいたときかな。日本でアニメを勉強していたウイグル人の知り合い経由で。いいなあ、わたしも日本で勉強したいなあと。」

どのような歌が一番好きですか?
「ブルースやジャズが一番好き。心配な時に聴くと心が静かになる、休憩になります。ロックはお酒飲みながら聞きたい。クラシックは悲しい感じ。」

ウイグルの音楽にもブルースやジャズあります?
「昔は少なかったが今はあります。ミュージックダイニングは向こうにも多く、そこで有名な人が歌うから。」

 

<ウルムチ・北京での生活>

日本に来る時周りの反応はいかがでしたか?
「母はちょっと抵抗あった、ウルムチでもコンピューター学べるし、なんで遠いところに行くのかと。でも、父はいってらっしゃい(って感じだった)。
ウルムチの高校を卒業した後に、ウルムチ離れる人は当時少なかった。だから母も抵抗感があったんじゃないか。今は北京などの大都市に行く人多い、外国に行く人はそんなに。」

北京での生活はどうでしたか?
「あんまり楽しくなかった(笑)。学校が遠い山の中にあって、外に出てもコンビニもないし。2年くらいしてすぐ帰りたくなった。大学内の寮での生活ですよね。ウルムチの方が都会だった。」

北京での生活の方が郊外だったとは驚きです、そこからなぜ日本に?
「秘密のところです(笑)。もともと、小さい頃から好きだったからかな。テレビや冷蔵庫が日本製品です。パナソニックとか。父のバイクもKawasaki。
日本はどんなところなのか気になった。なんでそんなに頭がいいのだろう?と。テレビでも日本のドラマ・映画のウイグル語吹替版みていた。お父さんもコロナが終わったら、日本に遊びに来るかも。」

なにか覚えている作品はありますか?
「『君よ憤怒の河を渉れ』ウイグル語で見た。『人間の証明』も。こういった日本のドラマたくさんテレビで見て気になった。」

日本に対してどのようなイメージをお持ちでしたか?
「海の真ん中の国ってどういう感じなんだろう?映画とかドラマとか上手だけど日本人はどんな人なんだろう?ウイグルだと日本人いないし、いたとしても漢族の人と区別つかない。
旅行で行きたいなと。日本に行っていた知り合いが日本人優しい、日本いい場所と教えてくれた。そんなに?と思って行ってみようと。」
「旅行で初めて日本に来ました。その後、北海道で仕事探しました。ボランティア会社が日本語とか日本文化を教えてくれた。日本で1、2年仕事したいなあと思い、北見でかぼちゃ・玉ねぎ・じゃがいもをとったり、ホタテとエビをとる仕事もして、その中で日本語を学んでもいた。日本人優しく、なんでも教えてくれる、ドア閉めなくても泥棒もない安全な国だなと。日本好きになりました。」
「北海道2年いてその後東京に来た。東京は家賃高いし大変と聞いてたから、逆に行ってみたかった。来てみたらウイグル人多いなと。中国人のバーで、一年半ぐらい歌の仕事して、そのときウイグル人と仲良くもなりました。今お店で一緒に歌っている友達も、2016年に東京に来たときに仲良くなった。その流れで今いる店で歌うように。」

 

<来日してからの生活>

すごく日本に対するハードルがあがっていますね(笑)。日本へのイメージと実際の日本との乖離はありました?思ったよりも残念だなあとか。
「なかった、聞いてた通りだなと。」

なぜ北海道を選んだのですか?
「友達のお姉さんが北海道にいたんですよ。北見工業大学で学んでいました。彼女がウルムチに来た時に『日本に行きたいけど、どうしたらいいのか』『何勉強したいかわからない』と。彼女がビザなども手伝ってくれました。北海道はどんなところかわからないけど日本だから大丈夫だろう!って感じだった。」

ウイグルの方は、日本各地にいらっしゃるのですね!
「そう。北海道から沖縄にもいる。バーでシーシャ専門店をやってます。」

日本にウイグルのコミュニティはありますか?
「あるが、コロナがあってここ3、4年は集まっていないですね。東京の結婚式開くような大きな会場であつまってました。歌ったり演奏したり踊ったりいろいろ。知らない在日ウイグル人と会えます。インスタとかから広がって、全員で300人くらい来ます。」

日本にいるウイグル人の方は、アリーさんのように芸術に携わっている人多いです?
「仕事で携わっている人ばかりではないですが、しかし踊れる人がほとんど。カラオケで民族音楽を一緒に歌う。楽器できる人も。」

ウイグル料理店で歌う歌のチョイスはありますか?
「一番大事にしているのは曲の意味。次にメロディーの綺麗さ。ヨーロッパのクラシックやフラメンコや日本の音楽、中国の音楽、ウズベク音楽、トルコ音楽、ロシア音楽、ポルトガル音楽も。ロシア語はウルムチでも勉強してました。
お母さんがロシア語使える。トルコ語(共通度80%)やウズベク語(共通度90%)はウイグル語と似てます。だいたいわかりますね。」

この先も日本にいたいと思います?
「そうしたい。9年いて日本に慣れた。またアメリカとかで0から始めるのも時間がないし、日本の生活に満足している。」

ウルムチに帰りたいとは思わないですか?
「1、2ヶ月帰って友達と話したりはしたいが、ずっといるのは日本でいい。」

仕事は今後も音楽の仕事を続けたいですか?
「歌とギターは趣味なので仕事の後に歌ったりできれば(満足)。家で歌ってもいいし。コンピューターの仕事が好きなので、システムエンジニア(SE)の仕事やりたい。最近、運転免許とって忙しかったので、これからITの勉強してSEできるといいな。昔もIT学んだけど、10年経ってIT環境も一変したので0から学ばないと何もできません。大学の時はやはり遊んでる部分もあったので…(笑)。」

大学ではどんな遊びをしていたんですか…(笑)?
「北京でクラブやバー。上海とかの他の大都市に行ってみたりも。」

休日は、どんなことをしています?
「勉強のためにいろいろ。暇な時は旅行。」

これまでに、どこへ旅行しました?
「沖縄以外の都道府県行った。最近は熱海の初島へ。彼女と一緒にですね。彼女はウイグル人で今は栃木にいます。日本で知り合いました。沖縄だけはまだです。いつも別の国みたい。」

これまで行った場所で一番好きなところはどこですか?
「いっぱいだが、熱海や富士山。静岡県多いですね(笑)。地元には海がないので、海が好き。熱海の海好きです。北見で仕事した時も、水平線に浮かぶ真っ赤な太陽がすっごい綺麗だった。ウイグル人、日本に行ってみたい人多いと思います。」

日本に来て驚いたことはありますか?
「地震。初めての地震は怖かった。どうしようかなと思った。今は慣れて、地震起きても携帯みてる(笑)。昔は地震起きたら外に出てました。向こうにも地震があることにはあるが、2,3年に1回程度。しかし、1回の地震で数百人死傷者出てしまう。石造の建物なので崩れてしまって被害が(大きい)。」

今までどのようなお仕事をされてきたのですか?
「2013年4月に日本に最初は北海道に来て、2015年4月に一旦ウルムチに帰りました。2015年に再び北海道、北海道では毎月違うバイトしてました。携帯部品会社やホテルの仕事、焼肉屋、スーパーの魚コーナー、農家、漁協、バーテンダー。10月、ここからずっと東京・埼玉。昔は東十条、今は東大宮に住んでいる。

ビジネスの会社(貿易会社で、ウイグルのブドウを輸入。日本の化粧品をウイグルに輸出している。)探して2年働き、その後、自分で西川口にミュージックダイニングのお店を作った。2F建てで歌ったりしてました。そこで2年間やったがコロナで閉めて、そこから大宮の喫茶店で働き、伯爵邸っていうところ(大宮で有名な喫茶店。ウクライナ、インド、ネパール、フィリピン出身の人も働いているそう。)で店長してました。その後疲れてやめて、今の店の友人から歌ってくれないかと。それで協力して、2021年にオープン。」

いろんな仕事の中でどれが楽しかったですか?
「全部楽しい。全部が勉強になりますよ。若い時はいろいろ仕事やると得られる経験多い。短く短くでも気持ちが良い。」

これからもいろいろやりたいですか?
「年齢が…(笑)。ITとかの会社入って同じ仕事をやりたいと思う。お金あれば小さなバー作って、自分で歌ってバーテンダーもやって…というのが夢ですね。いい場所あったらやりたい。まずは、IT 関連の仕事をやりたい気持ちが一番強いです。」

 

<故郷:ウルムチのこと>

最後にウルムチへ帰ったのはいつですか?
「2015年、7年前。忙しかったし、コロナ禍もあって帰れていない。隔離措置もあるしね。でも、ウイグルいいとこです。行ってみた方がいい(笑)。北は緑(トルコみたいな感じ)、南は砂漠(文化が多い)、ウルムチは真ん中(東京みたい)。ウイグル行ったらいろんなところある。」

その中だとどこが好きですか?
「やっぱり、ウルムチ。(ウイグルの)真ん中だから、北は冬寒いが、南は夏すごく暑い。トゥルファンは、気温が50度超えなので屋上で寝ます。家の中は、すごく暑い。ぶどうが一番有名ですね。
アクス(北西部、キルギス国境の街)は、リンゴが美味しい。
ホータン(南西部の街、インドに近い)は、絨毯の町。アトラスシルクの民族衣装が有名。宝石も。
カシュガルは、ウイグル文化の街。旧市街が残る、京都みたいな。楽器とか民族衣装とか買える市場がある。カシュガル行かないとウイグル行ってないような感じですね。」

ウイグル文化で好きなものや場所はあります?
「音楽、服、料理。ラグメン(※コシの強いうどんのような麺に、羊肉・トマトなどを炒めたソースをかけて食べる)は毎日食べてもおいしい。カシュガルはシルクロードタリム(※東京都初台にあるウイグル料理屋)の雰囲気。」

 

編集後記

普段、なかなか触れることのないウイグルの片鱗を見ることができ、とても新鮮でした。また、さまざまなことにチャレンジするアリーさんの姿は、とてもパワフルでした。東京都内にも、いくつかウイグル料理店があるので、今度ラグメンを食べにいきたいですね。アリーさん、ありがとうございました!

qing liu