河野萌依〜南京の記憶:歴史と人の暖かさ〜

人を知る

フィールドワークの最中に訪れた公園で。トランプをやっていて、この写真を撮った直後にこの方たちに話しかけに行きました。右の立っているおじいさんは、見ているだけなのになぜか一番笑顔で楽しそうで、それがとても印象に残りました。

南京での1週間は、いたるところで歴史と人の暖かさを感じた日々だった。
私にとって今回は2度目の中国だった。地元の大学生とグループを組んでフィールドワークなんて日本でもやったことのなかった。絶対に一人では見つけきれない場所に何百年も前の文字が彫って合ったり、歴史について彼らと対話したりした。地元の人ともかかわることもたくさんできた。私は現地でクレジットカードの問題でalipayが使えず、買い物に苦労していた。1日目の終わりに訪れたコンビニの店主のおじいちゃんが、そんな私を見て、10分ぐらい一緒にalipayを何とか復旧させようと頑張ってくれた。結局復旧はできないままであったが、「谢谢」と言ったとき、何ともないという感じで、「没事」と言ってくれたのが私にとってはとても身に染みた。一瞬、「南京の人は優しいなあ」ということが頭をよぎった。よく、「東京の人は冷たい。地方の人は優しい」と耳にする。だが、本当にそうだろうか。南京のコンビニの店主のおじいちゃんのような人は、東京のような大都市にはいないのだろうか。自分自身も、せかせかと生きている中で、日常生活の中で人の優しさというものを見逃しているのではないだろうか。南京で見たこと・感じたことは、東京にもあるはずだ。フィールドワークとして訪れた場所のみで、人の姿を感じるというのは非常にもったいないことだ。フィールドワーカーとして、東京であっても、世界のどこかの田舎であっても、人というものを観察しながら、偏見を持たずに生きていこうと思えた。
実際に訪れて感じた南京は、日本から見た南京とは全く違うものだった。中国は広く、一言では語れない、と思うと同時に、南京自体も深く、語れないものだと思った。それは中国、南京に限った話ではなくて、人間存在自体が、深く、一言では語れないものなのかもしれない。そのような実像に少しでも近づくために、フィールドワークというものがあるのではないかと実感した。

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平柳 智明