造園学で韓日の間に架け橋を

人を知る

政治的な側面で、日本と韓国はしばしば葛藤を起こしてきた。ところが、民間の次元では友好的な日韓交流に励んでいる人たちがいる。この度はその一人、韓日親善協会のメンバーであり、釜山大学で造園学を教えているペク・ジェボン教授に話を伺った。

 

1.ペク教授の半生

略歴

1979年 ソウル大学農学部造景学科 入学

1986年 ミリャン(密陽)専門大学造景学科教授 就任

1989年 東京大学農学部森林風致専攻博士課程 進学

2006年ー現在 釜山大学教授

 

なぜ造園学を選んだか

造園学という学問は、庭の造成だけでなく、景観計画および設計全般を扱います。私は専攻において、適性を活かしたかった。絵を描くことが趣味でしたが、芸術への道は親から強く反対されました。どうにか専攻に活かせないかと考えた結果、造園学科を選びました。昔は手で直接図面を描いて設計していたので、諸般の美術関連科目が造園学科のカリキュラムに組み込まれていました。また、新しい分野だから就職に有利だし、課題が多いと聞いたので、先駆者になることも意義があると判断しました。

教授として務めた後も博士課程に進みたいと思っていました。当時妻が日本に留学していたので日本へ留学することになりました。東京大学の教授に「このような研究をしてみたいです」と連絡を入れたら研究生として受け入れてもらい、4か月後入学試験を受けて正式に博士課程に進みました。

 

2.日本との関わり

日本への感情

父親は日本植民地時代の教育を受けましたが、日本に対してすごくいい感情を持って憧憬しており、私も日本に対して悪い感情は一切ないんです。民間の交流においては、悪感情を抱く必要はないでしょう。私は日本の安定している社会システム、都市管理システム、そしてマニュアルの社会に好感を持っています。

マニュアルの限界

しかし、マニュアル社会には悪いところもあります。マニュアルから離れたら、しません。東日本大震災で、韓国だったらすぐヘリ飛ばして救護物資落とします。急いでいるから。日本は違った。我慢して補給路を作ります。私は日本のマニュアル社会を好みながらも、それと同時に融通を利かせてほしいと思います。

日本との交流

実際に現在日本の方々との交流の場をとても多く設けています。学生が3年生になると卒業旅行で専攻に合った見学を行きますけど、私の学科はもう十数年間日本に行きます。また書道を趣味でやっていて、東京で書道交流展の展示会を引き受けています。そういう仕事のためにも日本によく行くし、また日本の方が来られたら迎えて歓待して、夕食ももてなす良い友好関係を持っています。

元総領事が交流団体を支援する、日韓文化交流基金という財団法人の事務総長を務めました。2015年には韓国の書道部の大学生を選抜して東京で展示会をして、日本文化を経験してもらいました。書道を通じて元総領事と繋がった伝で本当に大きい機会が与えられました。そこの学生の数人とは個人的な交流を続けています。

卒業旅行を日本に行く理由

まず、韓国は戦争を経て、歴史的な資料が消失してしまいました。他方、日本では平安時代の、庭園を作る手法が書かれた本があります。日本の時代ごとに決まっている様式とそれによる庭園の構成要素、また石灯篭、竹垣、飛び石を置く方法などがまとまっています。韓国にはそれがないんですよ。だからあまり管理もできませんでした。1989年、韓国の庭園31か所に踏査に行きましたよ。今はきちんと整備され行政のほうが管理していますが、その当時は凄惨でした。管理もちゃんとできてなかったし、牛を庭園で飼っていました。そういう観点で庭園が管理されている状態とか、庭園の様式が庭園にどういう風に溶け込んでいるかをみると学生たちが学ぶことが多いです。こうやって管理ができる、そういうところを見せたいです。

伝統庭園ばかりでなく都市空間にもよくいきます。釜山も大都市だから、再開発とかで都市空間が作られたとき、その周辺の空間をどうやって活用するか。日本はほんとうによく整備されていて、多種多様な素材もあるので、こういう風に作れるんだなって。

日本で見ろって言われるのは、わびさび。わびは精緻で綺麗なこと。さびは静寂で穏やかな、人の心を貫く、切々と感じさせる日本文化の特徴です。

わび:施工の精密さ。木が伸びていて、幹の周辺の境界線を自然な形にするために不定形の形で切ります。日本は積算基準と言って、そこにかかる人力と時間を計算してくれます。韓国ではこれがすごく弱いんです。決まった時間内にしなければいけないことが多すぎるんです。だから精密にできないのです。これを計算すれば結果はいいが費用を払う側にはすごく負担になるからです。こういう部分においては引き続き改善が必要なんです。そんな精巧さ、都市空間をほんとうによく作り立てたこと。

さび:日本茶室が代表的なものです。壁を塗る材料に鉄分を混ぜて作ります。そしたら壁の中の鉄分が錆びて、ほんのり染み出してきて赤か黒が表面に出て、静寂で穏やかな感じを出す。長い年月で滲み出る、ある感じを演出してくれる美について日本がすごく共感し享受しています。

韓国の韓屋村(※)は、真似はしたが昔の伝統が専ら染み込んでいる感じを空間的に演出できてはいません。他方、日本の町は伝統的な雰囲気を醸し出しています。でもそんな雰囲気の建物の中に入ると人が住む場所だから空調も利いています。自分勝手に直せない代わりに条例で補助し、税金面でインセンティブを与えます。それがよく調和しているところが北海道の小樽です。景観認定看板をつけてくれて、建物を新しく建ててもそこの雰囲気に合わせます。行政側で規制は強くかけられませんが、その雰囲気を保とうとする共同体意識が敷かれています。明治の雰囲気を演出することによって人を魅せ、自分が生計を維持することになるんです。私は日本のそういうところに魅力を感じ、韓国にも習ってほしいです。だから行政の官公庁で務めている公務員も相当連れて行きました。

(※)韓屋村…韓国の伝統的家屋が再現された地域。ソウルにある北村韓屋村が有名。

 

3.韓国の造園

釜山から見た韓国の造園

釜山の真ん中に16万坪平地の跡地がありました。釜山は海と面して、山が都市の真ん中にそびえているから敷地がすごく足りず、大体傾いています。この地にマンションを建てば税金がどれだけ集まるか。けれども都市空間を開発するのではなく、保全する方向で、釜山市民公園という名前の公園にしました。もちろん、行政当局の決断も必要でしたけれど、市長の決定を支持する市民の成熟した意識が結実しました。ほんとうに誇りに思っています。

東京の都心には公園が多いです。釜山と日本と比較すると釜山の方がよほど少ないです。だから東京が羨ましくて、せめてものこんな公園ができて幸いだと思っています。おそらく韓国は急速な経済発展を経たので公園などに気を遣わなかったのでしょう。そこに予算を配分し、釜山の全体都市計画を立てながら公園敷地を確保しようと努力しなければならなかったのに。

最近は韓国もますます公園などの都市空間に気を遣いつつあります。この前、国家庭園を新しく指定しました。そういう動きをみると、都市空間で人間が豊かに暮らしていける空間、遊び場とか遊園地、広場などに公園と緑地という空間を確保すること、それが大切だということを市民たちも行政機関の長たちも少しずつ気づいているのではないか。でもまだ私たちは十分ではないとみています。

釜山が2030エキスポを開催しようとしており、その中での造園の役割はすごく重要だと思います。釜山の造園産業が躍進する契機にもなるでしょう。2030釜山エキスポは私たち造園分野、造園業でもすごく渇望している事業です。

 

4.学問・教育

学問の変遷の中で、トレンドに追いつく方法

まずは教授がどうすれば新しいトレンドに追いつけられるかに関して真剣に悩んでいます。そのために日本に行き来するか、途中で交換教授で、また学会活動などを通じて情報を集めます。他国にいる研究者と交流を通じて新しい情報を入手します。そして新しいこと、様々な工法や理論、技術などを学生たちに教えます。私たちは特別に都市フォーラムという、特講プログラムを設けて外部の専門家たちを迎えました。テーマを限定せず、ツキノワグマ復元責任者、画家や旅行フリーランサーなど独特な方々を招聘して、学生たちが多様な分野に触れることができるようにしています。

大学教育の在り方

大学教育が社会な企業での即戦力の養成のためだと言われますが、企業にだけ行くわけではありませんね。大学はこの学生がどういう未来を紡ぎ出すか分からない、その可能性を広げる場所。それで未来を本人が探していく過程。政策に関わり、公務員になるかもしれない。だから無限の可能性を広げたんです。ベースは造園にして、色んな役割が果たせるような、基本的な素養を教えます。

その学生たちが未来に、3,4年後に社会に出た時自分が属した社会、その分野で果たしてどうやってクリエーティビティと夢を広げて行くのかは誰にも分からないんじゃないですか。できればそのようなクリエーティビティ、力量を養える方法がないか教授たちが悩んで特講という制度を取り入れました。韓国の造園分野でこういう噂があります。釜山大学造園学科都市フォーラムに参加したことがなければ造園専門家ではないと。(笑)

留学について

「日本は一時世界第2の経済大国、世界を先導した国家だから外国に行く必要はない」と思う人たちがいます。でも私はアメリカが世界最強で英語が世界公用語になっているから、できればアメリカに行って勉強することを勧めたいです。アメリカに留学した人たちは、学会などで全世界の人々とはばからず会話できます。アメリカに行けば英語は自然と習得できるし、そうしたとき私が持ちうる活動領域がすごく広がるんですよ。私が日本に住んで日本語を学んだことによって、貴重な機会がたくさん与えられるんだと切々と感じます。

釜山大学の大学院に行くという学生をしばしば送ります。ソウル大学に。「なぜ釜山大に来いって言わないんですか」「君のためだ。ソウルに行くといい大学でいい教授、そしてソウルの文化。絶対君のためになる。そこで勉強しろ」と。自分の学生だから、よりよい道を進む機会があればそれを提示し、その道を進めるように手伝うことが、教育者としての基本的な道理だと思っています。

 

 

教授も僕自身も韓国語が母語で日本語で話せたので、インタビューは若干日本語が交じった韓国語で進行された。

 

マニュアルに従うことは、物事への対応に完全なる一貫性を付与する。

しかし、人が渡したマニュアルどおりの行動を、心底から正しい、適切だと思えるか。(帰結主義を擁護するつもりはないが、)全ての状況に最も合理的な対応を提示するマニュアルはなかろう。

人のマニュアルに操られる傀儡は、他人の価値観を等閑視し、非合理的な対応をしてもいつまでも前に進むことはない。もちろん、人間も常に合理的にはなれない。だからこそ完璧かつ一貫性に向けて前に進める。

マニュアルに従うなら、自分なりのマニュアルを創ってほしい。

鵜呑みにせず、各箇条ごとに咀嚼して、あり得る状況を、その状況における価値の対立を、価値判断の基準を、そこに潜む前提を噛み砕いて自分のものとして再構築してほしい。

ペク教授が言いたかったのは、これではないかと。

ペク教授は誰よりも学生のことを想っていた。日本人に引けを取らない日本への愛情も伝わった。寒さが少し和らいだ両国の間、時に優しく時に苦い、ペク教授の温情に、僕は春の訪れを感じた。

文責:イ・スンモク

大場莞爾