高田馬場リトルヤンゴン

人を知る

 

東京有数の学生街として知られる高田馬場に「リトルヤンゴン」(ヤンゴンはミャンマーの大都市の一つ)という二つ名があると聞き、我々は取材に向かいました。日曜のお昼にJR高田馬場駅を降り立った我々が目にしたのは、在日ミャンマー人の方々が募金活動を行う姿でした。そこで堪能な日本語で我々に話しかけてくれたのは、他でもなく今回お世話になるダッパイさんです。今回は、彼の友人が経営するミャンマー料理店、「春」にお邪魔して取材を行いました。

高田馬場駅を出てすぐ目の前にあるビルの左の細い道に入っていくと、「春」という本格ミャンマーレストランがあります

 

「リトルヤンゴン」こと高田馬場と「春」

「リトルヤンゴン」とは日本に移住したミャンマー人が高田馬場周辺で構築していったコミュニティで、東京都の政策の影響も受けて一時は衰退してしまいましたが、ダッパイさんのような新しい世代の人びとを包摂することで、現在に至るまで続いてきました。それにしても高田馬場初心者の私としては、ミャンマー物産店が集まったビルが高田馬場駅改札の目の前にあるのは驚きでした。

ひとつのビルにたくさんの物産店が入っていました。中にはどこか怪しげな店も、、、

さて、このお店「春」ですがほんの数ヶ月前にオープンしたばかりで、ミャンマー料理を中心にインド料理も扱っています。

壁一面に貼られるミャンマーに関わる写真。アウンサン親子をはじめ、たくさんの写真がありました。​​

ダッパイさん主導で行う本国への支援運動(後述)に参加する人が集まる場所ということもあり、壁にはアウンサンスーチー氏の肖像や、古き良きミャンマーの街並みの写真が貼られていました。

お店のお姉さんは、「この頃がミャンマーの一番お金持ちだった時代だよ」としみじみと教えてくれました。(2000年頃の写真だそうです)

 

1989年、インド系のお父さんとイギリス系ミャンマー人のお母さんのもとにダッパイさんは生まれました。母方のお祖父さんもインド系の方だそうです。そんなルーツを持つダッパイさんは、現在は日本の会社でシステムエンジニアとして働いており、日本に来たのもソフトウェアを学ぶためだったそうです。起業家としての才もあり、母国ではスマホ修理とコンビニを兼ねた店を3つ経営しています。バイタリティにあふれるダッパイさんですが、これまで歩んできた道が今のダッパイさんを形成してきたのだとお話を聞いていて感じました。

高校卒業後母方のお祖母さんが経営されている酒造会社でお酒を作る業務に携わっていたダッパイさん。ブドウだけでなく、メロン、パパイヤなどから作られるワインをテイスティングして味の調節をしていたそうです。日本とは違って色んな果物のワインがミャンマーにはあるんですね!

 

その後のダッパイさんは、働きながらミャンマーの東大的存在であるヤンゴン大学に通い、ハードウェアを学びました。卒業後はシンガポールに行って進学したかったとのことですが、お母さんの強い反対で断念したそうです。実はミャンマーでは家族が一緒にいることが尊ばれる様で、ダッパイさんは来日して7年目となる今でも毎日朝晩2回お母さんにビデオ電話をしているんだとか。「愛の人」よりもお母さんが大事なのだと教えてくれました。

来日一年前のダッパイさん

 

2014年の来日後には、日本語学校に通いながら都内のフランス料理店でアルバイトをするなど、料理のスキルにも自信がある様子。そして2018年から現在に至るまで、IT会社でエンジニアとして働いています。私生活も大変充実しているようで、毎日のように会社やミャンマー人の友人と楽しく遊んでいると語ってくれました。お酒は大変お好きなようで、「毎日夜中まで飲んでる、食べるより飲む(のが好き)笑。」とのこと。

 

ダッパイさんの大きな夢

そんなお茶目な側面もあるダッパイさんですが、少年時代からずっと抱いている夢があります。
「お金を稼いで、世界で苦しんでいる人を助けたい」という夢です。お金のことを一番に考え、結婚も今は考えていない(いつでもできるから)と言います。こうした夢もあることから、祖国ミャンマーの現状には相当な危機感を抱いている様子でした。国軍のクーデター発生後、民間人と軍の衝突がたびたび発生し、ミャンマー社会が大きく揺れています。特に田舎まで食料が回らず、経済的に苦しんでいる人も多いそうです。そのため、ダッパイさんはお仕事のかたわら、日本国内の募金活動で集まったお金を本国に送り、そのお金で現地のボランティアが都市で食料を買い、各地域に分配して送るという活動に従事されています。具体的には、募金をすれば並べられている書籍(日本語、英語、ビルマ語の仏教書など)のうちから好きなものを持っていって良いというものです。

 

このチャリティー運動は日曜のお昼から夕方にかけて、高田馬場駅や上野駅周辺で開かれているようです。我々が最初に見かけたのもこの活動だったのでした。Facebookのグループで在日ミャンマー人の同胞に参加を呼びかけており、運動を指揮する立場にあるダッパイさんのフォロワーはなんと2000人近く!これには、“有名人だから笑”とダッパイさんも満面の笑みを浮かべておられました。

 

あふれるミャンマー愛

お話を聞いていて最も印象的だったのは、先祖代々ミャンマーで暮らしているという訳ではないダッパイさんが、本気でミャンマーを愛し、本気で国の行く末を憂えていたことです。生まれた地がミャンマーであれば民族関係なく「みんなミャンマーのこと大好きね」と話すダッパイさん。とりわけ、アウンサンスーチー氏はミャンマー人の“心の母”であり、「お母さんよりもお母さん」と言える存在だそうです。ダッパイさんの郷土愛の強さを感じました。

 

ダッパイさん、そしてミャンマーの今後

気さくながらも熱意のこもった話し方をされるダッパイさんを前に私は、大衆運動のリーダーとなった歴史上の人々も、きっとこんな風だったのだろうと密かに思いました。取材がひと段落するとダッパイさんは席を外し、募金のお礼にプレゼントしていた沢山の書籍が入ったバッグを自ら担いで戻ってきました。率先して人のために動く姿は、「幼い頃から人を助けたいと思っていた」という彼自身の言葉に寸分も違わず、感銘を受けました。また、日本語が堪能なだけでなく、想いを伝えるためのコミュニケーション力も高いダッパイさんは、人を惹きつける魅力を持った方でした。こうした活動のこともあって軍政下のミャンマーへは帰国することができませんが、将来的には日本を離れることを決めており、新たな分野での起業計画もすでに始まっているようです。今後のご活躍に期待です。

ミャンマーでは、国軍と民間人の戦闘が現在も続いていますが、情勢が少しでも早く安定し、人々が安寧な日常を取り戻せることを祈っております。日曜日に高田馬場を訪れる際には、是非募金に協力をお願いします!

カメラに向かってポーズをとるダッパイさん
鶴海光貴