広州在住日本人が中国に惹きつけられた理由

人を知る

名前:小久保 孝俊 (コクボ タカトシ)

年齢:29歳、1992年生まれ

(聞き手:加藤勇樹)

 

本日はよろしくお願いいたします、早速ですが今の状況について簡単に教えてください

はい、現在Aobaという事務所で働いています。勤務地は広東省広州市です。

なるほど、私と同じ広州市ですね、日本ではどちらでお過ごしだったのですか?

埼玉県さいたま市です。ただ中学・高校・大学と東京の学校に通ってましたので、夜寝に帰るという感じでしたが(笑)。また、母親が沖縄生まれのため、小さい頃毎年一回は沖縄の親戚に会いに行ってました。

 

今は中国ですが、簡単に中国とのご縁を教えてください。

縁は幼少期からあり、自分が小さい頃に父親が上海に5年間駐在していたので、長期休みの際に中国によく行っていました。その際に日本とは違う雰囲気を感じ、また異なる価値観に触れ、中国に興味を持ちました。

小さい頃からですか、早いですね。その後はどのように中国と関わってきたのですか?

大学生の時1年間休学して北京の大学に行き、そこで中国語を学び、また中国人と交流をしました。日本に戻ってきた後も当時の「爆買い」の状況もあって、多くの中国の人と関わりましたが、それだけでは飽き足りず、中国に行って触れ合いたい/理解したいと考えたので、日本での仕事をやめ、中国に行くことにしました。

なるほどそれで中国に戻ってきたのですね、日本で経験を積まれてからこちらに来たのですか?

そうですね。日本の大学を卒業後、日本で約2年半大手製造メーカーのグループ会社で海外営業として勤務しました。その後、広東省深セン市の日系企業で営業として勤務し、2021年11月より、Aobaでシニアコンサルタントとして在籍中です。

 

プライベートについても伺っても良いですか?

中国の女性と交際してます。今年結婚する予定です。また、今年4月から猫を一匹飼い始めました。

飼い猫の球球(名前)、オス、生後約半年

恋人がいらっしゃるのが、中国にいる強い理由でしょうか?

それも理由ですが、それだけではないです(笑)。大学生の頃から、中国で仕事したいと漠然と思っていました。やはり父親の影響が大きいです。上海に5年間駐在し、私も長期休みの際に中国によく行っていました。その際に日本とは違う雰囲気を感じ、また異なる価値観に触れ、中国に興味を持ったといえますね。

なるほど、中国はどんな印象でしたか?

小さい頃、上海に初めての来た時の中国への印象は、あまりいいものではありませんでした。まず匂いが日本にいた時のにおいではなく、外国のにおいがして小学生の自分はすごく嫌だった記憶があります。

今の中国とはまた違う印象でしたか?

はい。中国の人の様子も印象的でした。当時、自分は中国語がまったくわからなかったのですが、周りの中国の人たちが会話している様子を見て、ずっと怒りながら話しているようだと感じていました。なんでこんなに怒りながら喋っているんだろう?自分の頭の中に疑問が浮かんだと同時に、もし中国の人が突然話しかけてきたらどうしよう、と不安になりました。なので中国語を勉強しないと、って思いましたね。それから初めて中国への興味を持ち始めました。今思えば、消極的な理由から始まってますね(笑)

言葉の勉強から興味がはじまったのですね

そうですね、上海にいる間は、車での移動中、簡体字を見て日本の漢字と比べてました。広場って単語あるじゃないですか、簡体字だと广场なんですが、あれ最初に見たときは、なんでムを消すんだろってすごく気になりました。でも、簡単に書けて便利だなとも思ってましたね。日本に戻ってからは中国語を触れる機会はなかったので、中国語に触れたのはそれっきりですが。

 

そこからさらに転機となる中国との出会いがあったんでしょうか?

中学2年生の春休みの時ですね。テレビつけたら、中国語の教育番組が放送されていました。何気なく見ていたら、ピンインが紹介され、その時衝撃を受けたんです。えっ、中国語は漢字だけじゃないの?アルファベットあるの?って。今考えると発音を表すのにピンインがあるのは普通だと思うのですが、当時の自分にとってはコペルニクス的転回レベルの大事件でした(笑)。そこから、中国と中国語に興味を持ち始めました。

広州タワーより撮影した広州の夜景。広州東駅方向

私も勉強を始めたときは強い印象がありました。それでも中国で仕事をしようという決断に至るには並大抵の感覚では勇気が出ないなと思うのですが…

もちろん、最初は勇気がでず、このまま日本で仕事し続けてもいいかなと思いました。ですが、人生において自分が何をしたいかを考えた時、中国に関わることはどうしても外せなかったです。もともといた会社は大企業でしたし、(日本社会の既存の)レールから外れることは怖かったですが、最終的には勇気を出して中国に行くことを選択しました。

 

なるほど、中国に行くと決意されてから準備していたことはありますか?

中国の就労ビザ発行の関係で、まずは日本で最低2年間の就労をしました。(自分が)中国で求められることは日本人としてのふるまい(生活・仕事を含む)であると思っていたため、一度日本で仕事をして、ある程度理解をしてから中国に行った方がいいと思いました。

困難を乗り越える際に助けてもらった中国の友人の方はいらっしゃいましたか?

今の恋人もそうですが、大学生の時北京に留学していた時に知り合ったかけがえのない友人がいます。及川塾で知り合った中国の日本語学科の方ですね。

名前を聞いたことはありますが、どんな塾なのでしょうか?

短期間で日本語を勉強する塾なのですが、自分は参加者の日本語のサポートをするポジションで参加しました。中国の方は300人程参加され、日本の方は有志で10人程でした。中国の方の日本語を絶対ものにしてやるんだというのは圧倒されましたね。その中で仲良くなったN君は特に印象的でした。

N君は勉強熱心な方だったんですか?

とにかく日本語を習得して、日本に行って成功するぞ、というタイプで、ハングリー精神が強いなと感じておりました。自分は大学生まで、日本でレールに沿って生きてきました。親や先輩など上の人から言われたことをそのまま行えばいいと思っていたし、その日一日が幸せなら十分と思っていました。彼のそのハングリー精神が羨ましくて、どうやったらそんなハングリー精神が持てるんだろうと興味があったので、自然と仲良くなっていったのかと思います。

人の魅力に触れることが出来たのですね。中国に来てストレスがたまることはありましたか?

来た当初は、電子マネー(WeChatPay/AliPay等)での支払い、公共交通機関に乗るためのAPP手続き、外売(出前)のやり方が上手くできず、ストレスが溜まった記憶があります。また、外国で周りに日本人がほとんどいない環境だったので、自分でやらなくてはいけないというプレッシャーは大きかったです。日本から中国の口座に送金する際、一から調べないといけないなど…。現在は生活に慣れ、また彼女の支援と周りの友人や中国の方々との相互サポートにより、生活面でほぼ支障がなくなりましたが。

 

小久保さんは自身の人生でどのような軸をお持ちですか?

自信を持つことを大事にしています。個人的には自信は海外で生活、仕事をする上でとても重要だと考えています。日本にいる時に比べて、自分で考えないといけない機会が相対的に増えるからです。また根拠のある自信だけではなく、根拠のない自信も持つようにしています。根拠のある自信だけですと、いざその根拠がなくなった際に、簡単に自信を失ってしまいます。ただ自信を持ちすぎると過信し傲慢になるので、バランスを取ることが必要ですね。

生活面、仕事面で今後どのようになりたいか教えてください。 

すごく抽象的ですが、持続的に社会や会社に貢献できる人になりたいです。簡単なように聞こえますが、なかなか継続できません。中国で何年仕事ができるかわかりませんが、可能な限り、貢献できる人であり続けたいです。生活面では、子育て、それも子供が将来の選択肢を増やせるような環境を提供できるようになりたいです。地域社会によりふれあい、中国の方々と日本人の間に立てるような人材になりたいです。

茶話日和

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