ククウォンヒョン〜「百聞は一見にしかず」の意味を南京で理解する〜

生活と社会を知る

南京市内の風景

古代から現代まで中国、韓国、日本は密接な地理的距離と同じくらい文化、歴史、政治においても密接な関連性を持つ。 そのため、当然、各国に対する偏見と固定観念も生じるしかない。 私の母国である韓国で中国は「密集」、「伝統性」、「自国愛」などの言葉で表現される。 私が韓国のSNSとインターネットで見た中国人の姿は、HUAWEIやXiaomiなど、自国のブランドに大きく自負心を持ち、欧米の製品を排斥する傾向が強かった。 韓国と日本では見慣れたインスタグラムやグーグルマップなどのオンラインサービスが、中国では接続が禁止されているという事実は、私に中国に対する誇張された誤った認識を植え付けるのに十分だった。 韓国のメディアで見られる中国の姿は古い伝統式家屋に数多くの人々が居住する形態だった。 私が中国に対して持っていた固定観念は、南京空港から南京大学のホテルに向かう1時間の間、完全に間違っていたことが証明された。 バスの窓から私の目に映った南京の姿は、北京の天安門よりニューヨーク・マンハッタンの風景に近かった。 ソウルより高い建物が多く、渋谷スクランブル交差点より賑やかだった。 私が乗っているバスの横にはドイツの自動車が通り、交差点の隣のデパートにはアップルストアが入店していた。 フランスの衣料品店の隣にはイタリアの衣料品店、その隣にはスイスの時計店があった。 無印良品売場の看板はテニスコートより大きかった。 市内の風景で私は中国だけでなくアメリカ、フランス、スイス、日本を同時に感じることができた。

初日の衝撃を後にして、私は南京市内を旅行するために南京大学のチーム員たちと一緒に地下鉄に乗った。 地下鉄は平日の午後の山手線より快適で広く、非常に安かった。 地下鉄を降りた後、道に迷うと、警備員が私に話しかけてきた。 多くのメディアを通じて、「中国の公安は非常に厳しく、原則主義的だ」という先入観を学習した私は少し緊張した。 しかし警備員は明るい表情で私が行きたい方向の出口を親切に案内してくれた。 何が偏見で何が事実なのか区別できなくなった私は非常に混乱せざるを得なかった。地下鉄駅を出た後、私と南京大学のチーム員たちは市内のあるカフェに座ってお互いの文化に対する話をした。 私の最大の疑問点は、中国人は予想より自国のブランドを多く使わないということだった。 これに対して南京大学のチーム員は「どの国の製品であれ関係なく、中国は個人の必要に応じて自分に最も適した製品を購入することを好む」と解釈した。 中国人は中国ブランドの製品だけを購入するという偏見はどこから生じたのだろうか。 このような私の偏見ほど南京大学の学生たちが韓国に対して持っている偏見もまた存在した。 一例として、ある学生は校内のいじめをテーマにした韓国のドラマに興味を持っていた。 韓国人ならそのドラマがフィクションであり誇張されているということを簡単に判断することができたが、韓国に住んでいない中国人の立場では韓国の学校では暴力が当然視されるという認識を持つしかなかった。 実は、私も日本に留学する前に「半沢直樹」というドラマを見て日本社会に対する誤った恐怖心を持ったことがあった。 このように、時々メディアは視聴者に誤った偏見を注入させることもある。

21世紀の情報化時代においては、誰でも容易に多様な情報を得ることが可能であるが、その中で誤った情報を区別することは非常に難しい。 情報は提供者の意図によっていくらでも異なって見えることがある。 特に、読者が直接経験しにくい異文化の話は、その傾向がさらに強くなるしかないと私は思う。 東アジアの文化を伝える学生メディア「茶話日和」が記事を作成するにあたって注意すべきことは何だろうか。 作成者の独断的な解釈や偏った意見をなるべく排除し、事実そのものをそのまま叙述することが重要だと考える。 機会があれば、今回の南京研修を通じて得た教訓を「茶話日和」での活動でうまく活用してみたい。

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平柳 智明